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国立追悼平和祈念館オープン | '02/8/2 |
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広島市中区の平和記念公園内に一日、国が建設した国立広島原爆 死没者追悼平和祈念館が開館した。原爆犠牲者の遺影や被爆者の手 記の収集・公開を通じ、死没者を追悼し、原爆の悲惨さを後世に伝 える場。初日は遺族や市民ら約千九百人が訪れ、死没者の在りし日 をしのび、平和への思いを新たにした。 十二面の大型モニターがある遺影コーナーでは、映し出される遺 影や名前を見つめる人垣ができた。六台の検索装置は、肉親や知人 の遺影を探す人で埋まった。写真に手を合わせる姿もあった。 母の遺影を提供した東区馬木、無職堀本春野さん(72)は「母の姿 がこうした形で残り、気持ちが落ちついた」と、写真を見つけて満 足そうだった。 収集した遺影と名前は、一日に登録した十三人を含めて四千八百 四人分。うち千六百五十五人分は、中国新聞が一九九八年十月から 二〇〇〇年六月にかけて特集した「ヒロシマの記録―遺影は語る」 で集めた写真などで、遺族の了解を得て提供した。館内での公開可 能な遺影は、計三千七百四十二人に上る。 廃虚と化した被爆後の広島の街並みが壁面にパノラマで広がる追 悼空間や、被爆体験記などを公開する閲覧室にも人波が続いた。開 館記念の企画展「しまってはいけない記憶―被爆体験記にみる動員 学徒」も始まった。 追悼祈念館は、国が被爆者援護法に基づいて建設した。今後も遺 影や被爆手記などの収集を続ける。在外被爆者については、九月に も関連する国や地域の被爆者団体、日本人会などに案内文を送り、 提供を呼び掛ける。 ▽肉親と再会 遺族が祈り 「あっ、お父さんだ」。広島市中区の平和記念公園に一日オープ ンした国立広島原爆死没者追悼平和祈念館。遺族らは大型画面の前 に立ち止まり、次々と浮かぶ原爆犠牲者の顔写真を見つめた。肉親 の遺影を探し、あらためて「対面」。追悼の祈りをささげた。 薄暗い地下フロアの遺影コーナー。約四千八百人のモノクロの顔 写真や名前が大型画面に映し出される。 開館前から駆け付けた安佐南区緑井の松永貫一さん(84)は、二年 前に亡くした妻の遺影が映るのを静かに待った。見つけた瞬間、左 手の数珠を握り締め、「ありがたいことです」と言葉をつまらせ た。 おびただしい原爆犠牲者の数を思えば、モニターに浮かぶ遺影の 数はごく一部でしかない。 神戸市北区の主婦大森由美子さん(43)は、三十四年前に死別した 父の姿を確認するため、長女(14)を連れて帰省した。父から原爆の 話は一切、聞いたことがなかった。「大勢の犠牲者がいて、父もそ の一人だったと実感しました。まだまだ写真は増えるでしょうね」 死没者の遺影や名前の検索装置に向かっていた佐伯区美鈴が丘東 の主婦森岡ハツヱさん(77)は「妹の写真が一枚ある。焼き増しして 持って来ます」と、職員から申し込み用紙を受け取った。 長崎で被爆し、兵庫県被団協相談役を務める森田幸男さん(82) は、始発の新幹線で訪れた。「遺影を持ってくるよう周囲に呼び掛 けます。仲間を連れてまた来たい」。 この日、祈念館には十三枚の新たな遺影が届いた。 【写真説明】検索装置に表れた遺影に手を合わせる遺族 |
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