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パキスタンの子どもと広島入り 
平和運動家サラマットさんに聞く
2002/08/06
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 広島の市民団体「インド・パキスタン青少年と平和交流をすすめる会」(森滝春子世話人代表)の招きで広島市に滞在中のパキスタンの歴史学者で、反核平和運動に深くかかわるザリーナ・サラマットさん(66)に五日、印パ対立の現状や、被爆地に触れた子どもたちの変化などについて聞いた。サラマットさんは「廃虚から立ち上がり、悲しみや憎しみを超えて平和を希求するヒロシマに接することで、子どもたちの間にピースメーカーとしての強い自覚が芽生えている」と話した。
(編集委員・田城明)

 ■
学び、接し、考え 平和希求の自覚
  印パ国境緊迫 今こそ声を  ヒロシマの輪、広がり期待


  昨年九月の米中枢同時テロ以後、パキスタンとインドの緊張が高まっています。

 あの事件以来、インドはパキスタンを「テロを容認している」として厳しい姿勢を取っている。特に昨年十二月に起きたインド国会議事堂襲撃事件をきっかけに、国境に集結した正規軍同士が軍事衝突しかねないような緊張が続いている。領有権をめぐって対立するカシミールでは、支配ライン(暫定国境)を挟んで日常的に多くの死者が出ているのが現実です。

  今年に入ると、互いに核弾頭搭載可能なミサイル発射実験も実施しており、世界中が軍事衝突を懸念しています。

 核実験を行った翌九九年二月に、パキスタンのシャリフ前首相とインドのバジパイ首相が、信頼醸成を誓う「ラホール宣言」を発した。が、関係好転に期待を寄せると、それを崩してしまうような事件がいつも起きてしまう。この繰り返しを絶たなければいけない。

  現状では、サラマットさんも主要メンバーである「平和と民主主義を求めるパキスタン・インド人民フォーラム」を通じて活動する両国の知識人らの交流も困難に直面しているのでは…。

 その通り。とにかく今は互いに相手国を訪れて会うこともできない。しかし、パキスタン国内では九八年の核実験後、イスラマバードなど主要都市で生まれたパキスタン平和連合(本部カラチ)が六月末、ラホールで四千五百人が参加して平和集会を開いた。こういう厳しいときだからこそ、勇気を出して声を上げなければいけない。その意味でパキスタンの若者たちが広島で学び、インドなど多くの国の青少年と平和交流をすることは非常に貴重です。

 

  ご自身広島訪問は九八年十一月に次いで二度目ですね。

 四年前はインドから招かれた同じ人民フォーラムの代表と二人で、初めて触れるヒロシマから被爆の惨状や放射線の後障害などについて多くを学んだ。今回は先月二十九日に着いたが、「原爆の日」を前にした広島には国内外から多くの人が訪れ、原爆資料館を見学したり、核兵器廃絶を求めたりするさまざまな集いが開かれている。「ヒロシマ」が核廃絶と平和を希求する拠点になっているのを一層強く肌で感じている。

  特にこのたびは十五歳から十七歳までの子どもたち四人の引率役でもあります。

 青少年招請三回目の今年は、イスラマバードとラホールからそれぞれ二人が参加している。両都市とも二十数人の応募者があった。応募動機の作文を書かせたり、全員をインタビューして選考した。

  広島での子どもたちの様子はどうですか。

 今回初めてプログラムに参加しているアメリカの若者たちと一緒に被爆体験を聞いたり、女優の吉永小百合さんとの詩の朗読など、日々の活動を通じてヒロシマの持つ意味を深く心で受け止めてくれている。特に吉永さんと一緒に大平数子さんの原爆長編詩「慟哭(どうこく)」を英語で朗読できたことが、子どもたちに大きな感銘を与えた。

 

  日本やアメリカの若者との意見交換も活発のようですね。

 実際にみんなと接するまでは「パキスタンはテロ国家だと思われているのではないか」など、心配をしていた。でも交流を通じて、そうした行動を取るのはイスラム原理主義者のごく限られた少数で、決して自分たちは望んでいないことなどを説明すると、アメリカの若者らにも理解された。

 一方、アメリカの若者は偏ったメディアによってつくられたパキスタンのイメージしか持っていない。アフガニスタンへの空爆でどれほどアフガン市民が殺され、傷ついているかなどについてもほとんど知らない。

  広島を通じて若者たちは、核戦争の実態や、核保有の矛盾、危険性、放射能汚染といったことだけでなく、自分たちが持っている価値観も鏡に映していると…。

 その通り。こうした問題について、互いに顔を合わせてフランクに意見を交わすことがどれほど大事かをつくづく感じている。同時に日本の食事からホームステイ先でのもてなし、ごみの少ない美しい街なみなど、異文化に触れることもかけ替えのない体験です。

  今回はインド政府が、深刻な放射能汚染問題を抱えるビハール州ジャズグダのウラン鉱山地域からの参加予定者にパスポートの発行をなかなか認めず、広島到着が四日午後にずれこみました。

 非常に残念。でも、平和祈念式に一緒に参列したり、七日までの三日間は交流できるので、子どもたちは楽しみにしている。

 

  帰国後、子どもたちはどのような活動を考えていますか。

 マスコミを通じての記者会見、それぞれの学校での体験談の発表、子ども新聞の発行、インターネットを使って日本、インド、アメリカの若者との情報交換、これまでの参加者と一緒にジュニアの人民フォーラムの結成…。子どもたちはこんなアイデアを出している。

  広島市民、日本人に期待することはありますか。

 ボランティアでこのプロジェクトを続けてくれている広島市民らに深く感謝している。広島を体験した彼らは帰国後、ときには嫌がらせを受けたりしながらも、みんな積極的に活動を続けている。この輪をさらに多くの若者に広げるために、英語の原爆文献や視聴覚教材、さらにはそれを映写するようなプロジェクターなどがあれば助かる。将来はイスラマバードに「ヒロシマ記念資料館」といったものをつくりたい。









■プロフィル■
1935年、インド・ラクナウ市出身。イスラマバードにある国立歴史文化研究所の研究員として20年余勤務。専門は南アジア史。退職後の96年から「平和と民主主義を求めるパキスタン・インド人民フォーラム」に参加。現在同フォーラム・イスラマバード議長。

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