被爆の柱時計 新たな刻み/広島の竹本さん体験語る

'00/8/3

 原爆の爆風による衝撃で「八時十五分」を指したまま止まった柱 時計が、広島市西区己斐中二丁目で米穀店を営む竹本和雄さん(70) 方で、五十五年目の夏を迎えた。「思い出すのは怖い」と、被爆時 計の存在と自らの体験をほとんど他人に話さずにきた竹本さん。今 年、地域の小学生たちに初めて被爆体験を語った。

 「あの日のままです」。柱時計が掛かっている六畳間は当時、帳 場だった。爆心地から西へ約三キロ。木造二階建て店舗兼住宅の土 塀は崩れ、屋根がわらがすべて浮くほどの衝撃を受けたが、倒壊は 免れた。

 一九四五年八月六日。竹本さんは、学徒動員先の江波の三菱重工 広島造船所で被爆した。幸いけがはなく午後三時ごろ工場を出て家 に帰る途中、川沿いの土手などで多くの被爆者が苦しんでいた。

 家に入ると、見慣れた柱時計があった。木製の本体もガラスも無 傷。ただ、八時十五分を指した針と振り子は止まっていた。

 家に目覚し時計があったため、何となく修理せずにいたが、少し ずつ「原爆が落ちた事実を、あの時、この場で刻んだあかし」と思 うようになった。ほこりを払ったり、孫に見せたりするとき以外、 柱から下ろすことはなかった。

 「当時の惨状が思い出され、怖かった」と被爆体験に口をつぐん できた竹本さん。六月に地元の己斐小学校の児童に被爆体験を聞か せてほしいと頼まれ、訪ねてきた六人に時計を見せ、「二度と戦争 をしたらいけん。核はいけんと伝えんさい」と語り掛けた。

【写真説明】被爆した柱時計を抱え、体験を語る竹本さん。ふだんは、後方中央の柱に掛けてある


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