写真家林さんの原爆写真ネガ、広島市へ寄託
'00/7/28
被爆二カ月後の一九四五年十月、広島の爆心地の惨状を撮った写 真家林重男さん(82)=東京都目黒区=のオリジナルネガフィルム二 百三十二枚が広島市の原爆資料館に寄託されることになり、二十七 日公開された。文部省学術研究会議の「原爆災害調査研究特別委員 会」に同行して被爆の実態を撮影。米軍の接収を免れた貴重なネガ は、節目の八月六日に正式な契約が結ばれると、ゆかりの広島で保 存、活用される。
寄託されるのは、三五ミリ白黒ネガ百七十五枚と六六判(六セン チ×六センチ)五十七枚。いずれも十月一日から十日までにかけて 撮られた。爆心直下の島病院(中区大手町一丁目)一帯をはじめ、 爆心地から二百六十メートルの広島商工会議所(中区基町)と八百 七十メートルの旧中国新聞社新館(中区胡町)の屋上から撮った三 六〇度のパノラマなどが、原爆の威力を克明かつ 鮮明に伝えている。
ネガは、一緒に広島入りした日本映画社製作の記録映画フィルム 三万フィートとともに、「原爆の機密」保持を狙う米軍から提出命 令を受けた。林さんが所属していた陸軍参謀本部の外郭団体「東方 社」(東京)の当時の部長で写真家の木村伊兵衛氏の機転によりプ リントを引き渡してネガを守った経緯がある。そのプリントの複写 が七三年に米軍返還資料として戻り、たび重なる「複写版」が展示 や新聞・書籍で使われている。
林さんは「ヒロシマを撮 り、身をもって守ってきたネガフィルムが原爆資料館で命を永らえ るのは本懐とするところ。写真に残っている事実を多くの人、次の 世代に見てほしい」と話している。
ネガは原爆資料館の収蔵庫で保存され、林さんの証言や当時の気 象記録などと照らし合わせ、撮影日の特定や撮影順に整理してい く。今後はネガからプリントした写真を公開。館外には複写して提 供する。
【写真説明】1945年10月1日、広島入りし、放射能の測定や爆心地の特定を始める調査団員たち。後ろは原爆ドーム。電車は右側通行だった(林重男さん撮影)