沖縄原爆展閉幕 サミット首脳の見学実現せず

'00/7/28

 広島、長崎両市が沖縄県糸満市の県平和祈念資料館で開いていた 「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」が二十七日閉幕した。二週間で約六 千人が見学に訪れたが、肝心の主要国首脳会議(沖縄サミット)参 加国の首脳の見学は実現しなかった。

 「大変残念だ。しかし沖縄でのサミット開催は、広島開催に向け た環境が整いつつあることでもある。その意味で原爆展見学の実現 に一歩近づいた」。秋葉忠利広島市長は沖縄サミットが終わった翌 日の二十四日の記者会見で悔しさをにじませながらも、今後に望み をつないだ。

 開催前、参加国に招請状を何度も送った広島市は、開催中も首脳 見学の実現に尽力した。クリントン米大統領が資料館の目の前にあ る「平和の礎(いしじ)」を訪れた二十一日。秋葉市長は再び沖縄 に出向き、資料館で長崎市の伊藤一長市長と待機した。

 しかし、大統領の足は原爆展会場に向くことはなく、秋葉市長は 二階から窓越しに大統領を見つめるだけだった。被爆地の願いが届 かない国際政治の現実や、日本政府の後押しの乏しさがあらためて 浮き彫りになった。

 沖縄県で両市が主催しての原爆展は今回が初めて。一九九五年に は長崎市単独で沖縄、那覇の両市で開催。六日間でそれぞれ千五百 人前後が見学した。今回は期間は二倍だったが、見学客は六千人と 四倍に増えた。地元の小中学生や米軍基地関係者が目立ったとい う。取材に訪れた海外のマスコミは、分かっているだけでノルウェ ーの新聞など四組だった。

 二十〜二十五日まで会場に詰めた原爆資料館(広島市中区)の畑 口実館長によると、二十一日訪れた米軍基地内の米国の小中学生約 四十人は会場に入るまでは騒いでいたものの、一発の原爆で一面の 焼け野原になったパネルに表情が一変、展示品を食い入るように見 ていたという。

 畑口館長は「原爆の被害をあまり知らなかっただけに衝撃も大き かったようだ。外国の人に訴える必要性をあらためて感じた。二十 一世紀を迎えても変わらない広島の役割だと思う」と話している。

【写真説明】米軍基地の小中学生も訪れるなど、にぎわった「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」(糸満市の沖縄県立平和祈念資料館)


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