中国新聞社

(46)桜が咲いて 人生の哀歓 重なる思い

2002/3/24

 春一番も吹き、桜の花がうっすらと色を染めはじめた。いよいよ待ち望んだ春がきた。八階にある住まいの下は公園で、桜並木が続いている。

 「桜がきれいよ」「そう、お弁当を持って行くわ」。やって来た母が「桜は下から見てもきれいだけれど、上からもいいね」と、目を細めていた。

 きれい好きの母は、お弁当のほかに、トイレ用の洗剤を持参していた。「トイレ掃除してないでしょ?いつも、きれいにしておかなくちゃね」とゴシゴシ、掃除をはじめる。「もう!桜を見に来たんじゃないのー」。そんな会話をした母も昨年、旅立った。

 母の持ってきたトイレ用洗剤はまだ、トイレの隅にちょこんと置いてある。「きれいにしなさい」といつも言われているようで、恐縮してトイレに座る。なんとなく使うのがもったいなくて、洗剤もそのままだ。人の命ははかない。

 「桜は見られんでしょうなあ」。母のことで、医師に言われたことを思い出す。たくさんの在宅療養の患者さんのお宅を訪問しながら、ご家族からこの言葉を聞くことも多い。喜びも悲しみも秘めて、桜の花は咲く。

 昨年の今ごろは、抗がん化学療法の最終クールを受けていた。あと一カ月で、化学療法を終えて一年になる。今も月一回の受診は欠かさない。

 温めたり運動したり、いろいろやってはみるが、残念ながら、手足の先のしびれは、まだ続いている。しかし、夢中で何かをしていると、そのしびれは感じない。右の太もものリンパ浮腫は、圧力スットキングのおかげでうまくいっている。抜け落ちた髪の毛はフサフサと巻き毛になって、パーマをかけることはなくなった。

 以前より疲れやすくなったが、得意の「寝技」で、どこでもすぐ眠れる。気持ちも楽だ。無理せず、やれることをやる。やれないことは断る。一年、三年と、がんから逃げ切ることばかり考えずに、今の時間を大切にすることが大事に思える。

 まだ初心者マークの私が、がん闘病の極意を語る資格はない。でも、なんとかここまでやってきた。自分で自分をほめることはおもはゆいが、ほめてやりたいと思う。そして、思いもよらない「ごほうび」が用意されていた。

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