2001/9/9 手術の日、家族は祈るような気持ちだったと思う。万が一でも、どんなことが起こるか…。いくら説明を受けていても、不安は隠せない。どんな病気であれ、身を切るということは、家族にとっても、身を切られる思いなのだ。 翌朝、少し頭が重いが、「ああ、朝が来た」という安堵(ど)でいっぱいだった。やはり、患者にとって夜は、長く暗い闇(やみ)。点滴と、腰には硬膜外チューブ、尿道カテーテル、腹から膣(ちつ)へ通したドレナージ(排液)の管などで身動きできない。 主治医がガーゼ交換に来た。腹帯を開けて、傷を消毒する。「どんなになっているのだろうか」と、少し頭を上げてみる。「わあ」。一回目に比べると、やはりおなかを縦に切っているので、傷は二十センチくらいある。たくさんの金具で留めてあり、ちょうど金属性のムカデが一匹、おなかに乗っているという感じだ。 見えるところではないが、今までの自分ではないような、変な気持ちになった。乳がんで乳房を失った人、大腸がんで人工肛(こう)門を付けている人など、自分の身体のイメージが変わることを受け入れるのは難しい。あらためて、そのつらさに思いを馳(は)せると、心が縮む。「命とひきかえ」といっても、そのショックは言葉で言い表せない。 ずっと、あおむけで寝ていたので腰が痛い。やっと横に向ける。一日でも早く起き上がりたいという思いで、ベッドのさくを握り締めて、力いっぱい向きを換える。痛いけど、ここで頑張らなくては腸が動かないし、ご飯も食べられない。ガスが出なければ、次のステップに進めないのだ。 しばらくして、また、ベッドのさくを持って反対の向きに体位を換える。「いたたたー」と声が自然と出る。一日中、「ガスが出ないかな」「早く出るといいな」と腰上げ運動をするうちに、夕方になった。看護婦さんが「ガスが出たら、教えてくださいね。流動食が始まりますから…」と声を掛けてくれたが、「今日は無理かも」と、半ばあきらめていた。 面会時間ぎりぎりに、職場の同僚が「どう?」と、様子を見にやってきた。「ガスが出んのよー」と訴える。産婦人科勤務の経験がある彼女は、「ここを押すといいよ」と、私の腰をマッサージしてくれた。彼女が帰って十分もしないうちに、「ブワ〜ン」と一発。 「ありがたい。あしたからご飯が食べられる」 |