広島市内を縦横に走る路面電車。来年で開業100年を迎えます。「あの日」も運行していました。電車も人も甚大な被害を受けながらも、3日後には一部復旧し、市民に復興に向けた勇気を与えた、といいます。
その後、車社会の到来で、存続の危機に立たされたこともありました。しかし今は、二酸化炭素(CO2)を直接出さない、環境に優しい乗り物として注目を集めています。連結車両は輸送できる人数が多く、床の低い車両は車いすやベビーカーの利用者も使いやすくなっています。広島では、がっちりした車体で、がたんごとんと走るレトロなムードの車両から、全長30・52メートルで日本一の長さを誇る最新鋭の連結車までいろんな電車を見られるのも特徴です。
今回は、被爆電車を通しての継承活動とともに、環境や人に優しい次世代型路面電車(LRT)を紹介します。
今も現役で走っている被爆電車 |
3日後再開 2両現役 地球65周分走行
原爆が落とされた時、123両中。108両が被害を受けました。従業員も1241人のうち185人が死亡し、266人が負傷。しかし3日後には己斐(現西広島)ー西天満(現天満町)間で運転を再開しました。
今も現役で走っている2両は当時では最新型だった651、652号。2両はこれまでそれぞれ約260万キロと、地球65周分も走ってきました。「部品がある限り、使い続けられる」と、電車輸送企画グループのマネジャー井手ケ原誠さん(53)は言います。
とはいえ、70年も前から走っている被爆電車は、最新型に比べてスピードが出にくく、馬力も低いそうです。また、新型は片手で運転できますが、被爆電車は両手で運転しないといけません。ブレーキ用のメーターも付いていなくて、経験で運転技術を身に付ける必要があります。
被爆電車の運転について運転士の高山昌文さん(49)は「特に被爆体験を聞くと当時のことを思い、平和な今に感謝しながら、より慎重な運転を心掛けています」と話します。また「被爆電車をはじめ古い電車は、自分が運転している実感を得られるので好き」と笑顔で答えてくれました。(高2・畦池沙也加、中1・重田奈穂)
被爆当時の電車については「電車内被爆者の証言」「電車を走らせた女学生たち」(いずれも広電発行)を広島市立図書館で読むことができます。
「8・6」車内で継承 下原さん ・・・
被爆電車の中で、被爆体験を語る下原さん(左端) |
15歳の時に被爆した、広島県原爆被爆教職員の会会長の下原隆資さん(81)=江田島市沖美町=は、被爆電車の中で小中学生に被爆体験を語る活動を10年以上行っています。下原さんは「反戦、反核、反差別という三つの『反』の考えを引き継いでほしい」との思いで、当時の状況などを細かく語っているのです。
下原さんは、通っていた広島二中(現観音高)の玄関で被爆しました。あたりが光り、気付くと天井の下敷きになっていました。翌日、電車の中でつり革を持ったまま、あるいは座席に座ったまま亡くなっている人を見たのを覚えています。
今でも電車を見ると、被爆後すぐに立ち上がった人たちの姿を思い出し元気をもらえる、という下原さん。復興のシンボルとしてずっと被爆電車を残しておいてほしい、と考えています。(高2・岩田萌、写真も)
「努力の証し」脚本に 伊藤さん ・・・
被爆電車をテーマにした脚本を書いている伊藤さん(撮影・高1井口優香) |
広島市佐伯区の元舟入高校長伊藤隆弘さん(72)は、被爆電車を題材にした脚本をこれまで4作品書いています。原爆が投下されて3日後に動き始め、今も多くの市民が利用する路面電車には「市民の愛が込められている」と考え、取り上げました。
現在も運行されている被爆電車。「あの日からつながっていて、今も生きて頑張っている。古いものが守られている努力の証しを、多くの人に理解してほしい」と思いを語ります。
伊藤さんが脚本を書き始めたのは、舟入高で演劇部の顧問をしていた1969年。全国大会に出場した時に、他の学校の創作劇を見たのがきっかけでした。「広島の学校だからこそヒロシマについてやろう」と生徒が言い出したそうです。「自分の体で表現することで、ヒロシマを追体験できる。これが継承につながる」と熱く語ります。これまで書いた脚本は40作品。いずれも原爆に関するものです。伊藤さんはこれからも書き続けるそうです。(高1・秋山順一、中2・河野新大)
◆ 主な脚本あらすじ ◆
路面軌道の灯 広島に投下された原爆で、路面電車は、全車両の9割が破壊され、多くの従業員も犠牲になりました。生き残った人たちは必死に復旧作業に立ち向かい、3日後には一番電車を走らせることに成功したのです。 とうさんのチンチン電車 高校生のじゅん君は悪友にそそのかされて広電の車庫に忍び込み、被爆電車に出合います。電車の運転士だった亡き父はあの日、けがをした自分の代わりに乗務し、被爆した女学生を捜して白血病になったのでした。(高1・井口優香) |
最新型のグリーンムーバマックス |
CO2排出 自家用車の5/1 線路に芝生も
広島電鉄(広島市中区)によると、路面電車が1人を1キロ運ぶ時の二酸化炭素(CO2)の排出量は9グラム(1999年)。自家用車45グラム(同)の5分の1です。また、最近は軽くて電力消費量の少ないアルミ車両も導入しています。広島港から海岸通の線路には、アスファルトや敷石の代わりに芝生を植えています。夏に地面近くが高温になるのを和らげているのです。
環境に優しい路面電車ですが、存続の危機がありました。60年代前半、車が線路を走れるようになりました。電車は予定通りに走れず、不便な乗り物として全国で廃止が相次ぎました。
広電は、道路を管理する県警に、車が線路を走れないようにしてほしい、と訴えました。そのころ県警の幹部が欧州を視察。路面電車の活躍を見たのがきっかけで、再び車が線路を走れない決まりになりました。
広電は当時、京都や福岡など廃止された電車を安く買いました。今も各地の電車が走っていて「動く交通博物館」と言われています。広電の車両数は298で日本一。1日10万人(鉄道の宮島線は除く)の利用者数も国内トップです。
広島で路面電車が走り始めて来年で100年になります。広島駅と稲荷町を直接つないだり、平和大通りに電車を走らせるなど利便性を高めるために路線の変更が検討されています。(中1・重田奈穂)
富 山 |
LRT導入 利用者増 |
全車両がバリアフリー化されている富山ライトレールの路面電車(富山ライトレール提供) |
富山ライトレール(富山市)は2006年、日本で初めて次世代型路面電車(LRT)を本格的に導入して開業しました。
当時、JR富山駅の新幹線や在来線の高架工事をする際、駅の北側にあったJR富山港線を高架にするかどうかが問題になりました。乗客の減少により、便数が減って不便になり、さらに乗客が減るという悪循環に陥っていたからです。
富山市は街の活性化のため、路線を一部変更し路面電車として再出発しました。富山ライトレールになってから、朝は10分、日中は15分おきに走るようになりました。バリアフリー化や、終電も午後11時台と遅くなったこともあり、平日の利用者数は平均4800人と、以前の2倍以上になりました。65歳以上の富山市民は運賃100円と大人の半額になっていて、60歳以上の人の利用数は3・5倍に増えています。
今後、富山駅の高架下に新たに路線を通し、駅の南側にある別の路面電車と接続します。駅の南側にある中心市街地に乗り換えなしで行けるようになる予定です。(中3・市村優佳)
独フライブルク |
車の所持率減 下支え |
ドイツ・フライブルクの路面電車 |
ドイツ南西部にある人口約22万人のフライブルク市は「ドイツの環境首都」といわれ、路面電車を中心とした公共交通機関の利用を促進しています。
電車は4路線で総延長36・4キロ。約7分半間隔で運行し、車の利便性に近づける方針にしています。市中心部は車の乗り入れが禁止されています。市民は電停近くの駐車場に車を止め、電車に乗って市街地に行きます。鉄道やバスと乗り換えしやすいよう、それぞれの乗り場の間をエレベーターでつなぐなどの工夫もしてあります。
定期券も個性的です。休日に1枚で6人まで使える券や、貸し借りができる券があります。また、線路の多くに芝生が植えられ、景観的な美しさに加え、騒音や振動を緩和しています。さらに使用電力は、太陽光や水力発電によるものだそうです。
これらの政策により、人口に対する車の所持率は千人当たり423台と、ドイツの主要都市の中では最も低くなっています。(高2・西田千紗、写真も)
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