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ヒロシマを学ぼう

建物疎開  取り壊して延焼阻止


広島市竹屋町(現中区)付近で建物疎開の作業をしている様子を描いた絵(故浜田義雄さん作、原爆資料館提供)


建物疎開は、空襲による火災の延焼を防ぐために建物を取り壊す作業のことです。戦時中、全国の都市で行われ、広島市では1944年11月に国の指示を受けて開始。燃えると困る、として市役所や県庁、軍需工場などの周りを壊しました。

戦時中はすべての国民が戦争に協力するよう法律で決められていました。45年8月6日も、今の中学生以上に当たる動員学徒、地域や職場ごとに編成された大人たちが作業中で、原爆で大勢が犠牲になりました。原爆資料館(広島市中区)が2004年に開いた企画展によると、約5900人の動員学徒が建物疎開作業に出ていて亡くなったそうです。

同資料館には、真っ黒に焦げた弁当や女学生の夏服など作業に動員された人の遺品が展示されています。学芸員の落葉裕信さん(34)は「亡くなった人の苦しみや家族の悲しみが伝わる遺品に向き合い、原爆の恐ろしさや平和の大切さを感じてほしい」と話しています。



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