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2000年5月17日
4 核依存体質
![]() 真っ青な空、乾いた空気、温暖な気候、広大な大地…。こんな自 然を求めてニューメキシコ州に移り住む人も少なくない。 「私たちもここの自然は大好きよ。でも、人口が少なくて土地が 広いから、原爆製造のマンハッタン計画以来、いろんな核関連施設 ができたでしょう。その分、目に見えない放射能が多いのが気にな るわね。サッコロだって安心できないのよ」。弁護士のエレイン・ マーさん(68)はそう言って、大学教授で夫のエリオット・ムーアー さん(63)を見やった。 サッコロ市内のほぼ中心部にある夫妻の自宅。広い中庭、ニュー メキシコ独特の赤土でできた大きな家。二人に促され、食堂の席に 着いた。 「ここの住民が、身近に放射能の脅威にさらされるようになった のは一九七二年。ニューメキシコ州立大学付属の試射場で、劣化ウ ラン弾の実射試験が始まってからだよ」。宇宙物理学者で、自らも 同大で教えるエリオットさん。学内の彼でさえ、八〇年代後半まで 劣化ウラン弾の実射試験を知らなかったという。 「エネルギー物質研究試験センター(EMRTC)のスタッフだ けが、武器開発にかかわっている。部署が違うと分からない」と、 エリオットさんは学内での秘密性の高さを嘆いた。 ![]() 副学長のバン・ロメロさん(44)とのインタビューについて触れる と、夫妻は思わず白い歯をのぞかせた。 「劣化ウラン弾のオープンエア・テストの意味を、発射用ガンか らキャッチボックスへ至るまでの飛行状態をさすという解釈は何と もユニークね。しかし、最初からキャッチボックスを使っていたと いう説明と同じように、全く事実と違うわ」とエレインさん。 地元有志でつくる市民組織「私たちの山を救おう」のメンバーで もある二人は、かつて試射場で働いていた人たちの証言や、情報公 開法で得た公文書から多くの事実をつかんでいた。 「少なくとも七〇年代に行われた実射試験では、何の遮へい物も なかった。文字通りのオープンエアよ。実物のM60戦車も標的に使 われている。しかも試射場の中でも、町に一番近いテスト場でね」 妻の言葉を引き継ぐように、エリオットさんが続けた。「当初の 試験は劣化ウラン弾の弾頭が、弾道スピードの違いで標的にどれだ け衝撃を与えるかを知るのが中心だった。この時に大量の劣化ウラ ン粒子が発生する。作業員をはじめ、われわれ市民がどれだけその 粒子を吸引したかは分からない」 八〇年代に入り、遮へい用にキャッチボックスが使われるように なったかもしれないという。しかし、その時でも煙が上がり、それ と一緒に劣化ウラン粒子が大気中にいくらでも飛散したとみる。 ![]() 九一年の湾岸戦争のころには、大学内の財団法人と試射場の使用 契約を結んだ劣化ウラン製造企業が盛んに実射試験を繰り返した。 「大学はプライベートである財団法人を利用して企業との契約内 容を隠す。企業は大学の自治を隠れみのに劣化ウラン弾実射に伴う 環境への影響を一般に公表しないで済ませる。州政府がそれを後押 しする。まっとうなチェック機能がどこにも働いていないのよ」 州政府・大学・企業―。エレインさんは、その関係を弁護士らし く理路整然と説いて見せた。州の体質には、ロスアラモス国立研究 所をはじめ、長年「核翼賛体制」に依存してきた経済体質があると も指摘する。 大学側は九三年に劣化ウラン弾の使用を中止したという。「で も、五十八トンの劣化ウランの保有は、今も許可されている。使用し てもその分を埋め合わせることができるのよ」 エレインさん夫妻の大学への不信は、物言わぬサッコロ市民の思 いを代弁していた。 |
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