![]() ![]() |
2000年4月26日
3 30歳の死
薄暗い森の中の通りを抜け、しばらく走ると目指すジャネット・ ケナリーさん(66)の家はあった。 「わざわざ広島からですか…」。玄関で迎えてくれた彼女は、差 し出した名刺をまじまじと見つめながら、シャンデリアの光に照ら された食堂のいすに腰を下ろした。 「実はね、ダイアンの死のことは、ここ何年か人に話していない の。素人ではいくら調べてもスターメッツ社と娘の死の因果関係は 立証できないものね」。ケナリーさんは、長い間封印してきた思い をぽつりぽつり打ち明けた。 ![]() 「ほら、これが私が調べた近所のがん患者の実態よ」。テーブル に広げたB4判の用紙三枚。「がんの発症・コンコード在住十年、 もしくはそれ以上」と題した記録には、がんの種類、発症年、年 齢、死亡の有無などが通りごとに区分され、丹念に記入されてい た。 ケナリーさんの住む一角は、マサチューセッツ州コンコード町の ほぼ南端中央部。南西端にあるスターメッツ社(旧核金属社)の風 下約三キロに当たる。「私たち家族がここへ移ったのは一九六六 年。長女が四歳、がんで亡くなった二女が三歳、長男はその年にこ こで生まれたの」 周りの家々も、ほぼ同じころに建てられた。彼女が調べた十七の 通りを合わせても百世帯に満たない。その中で九七年までに、五十 四人のがん患者を確認した。「一番不思議なのは、私と同じ通りに 住む七世帯の間に三人が二十代で、一人が三十代でがんにかかった の。うち三人は肺がんよ」。ケナリーさんはリストの最初に記載し たオールデン通りの記録を指さした。 ![]() 一方が行き止まりの短いオールデン通りは、交通量が少なく、子 どもたちの格好の遊び場だった。子どもたちの成長期は、スターメ ッツ社が、七〇年代に入って劣化ウラン弾の貫通体の生産を本格化 する時期と重なる。 スターメッツ社が劣化ウランのスラッジ(汚泥状の廃物)、汚染 水を投棄して敷地内の地下水や土壌を汚染したように、煙突群など から劣化ウランの微粒子が飛び出し、敷地外の表土を汚染していた こともはっきりしていた。 例えば、ニュージャージー州の汚染土壌専門の研究所が九四年に 実施した調査結果。それによると、社の敷地のはずれから三百〜千 三百メートルの六カ所の測定地点で、この地域の自然値(一ピコキ ュリー)より最高十八・九倍の劣化ウランが検出された。ニューヨ ーク州では、劣化ウラン微粒子が工場から約四十キロも離れた所で 見つかってもいた。 「ダイアンが肺がんだと診断されたのは八六年、二十三歳の時 よ。看護婦だったから『喫煙もしない自分が二十代でなぜ肺がんに …』って、随分自問していたわ」。最後まで気丈だったダイアンさ んだが、九三年十月、肝臓へがんが転移し、息を引き取った。 ケナリーさんがスターメッツ社に疑問を抱き始めたのは、二女の 死から二年後の九五年。地元紙がコンコードのがん罹(り)患率の 高さを報じた時だった。「娘の死の原因を突き止めて無念を晴らし たい」。そんな思いから調査は始まった。 ![]() しかし、新しい入居者の中には調査に不快感を示す人もいた。 「そんなことをすれば家を売る時の価格が下がるってね…」 失望が重なるにつれ、ケナリーさんの調査への気力もなえた。 「でも、がんにかかった肉親を持つ家族の多くは、心の底でスター メッツ社に疑念を抱いていたわ。口に出さない人も含めてね」 久方ぶりにダイアンさんの死や思い出を口にしたケナリーさん は、別れ際にぽつりと言った。「原爆投下は広島の人たちに大きな 苦しみを与えた。きっとその人たちなら、私の気持ちを分かっても らえるかしら…」 |
|
next | back | 知られざるヒバクシャindexへ