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2000年4月7日
4 遅れてきた戦死者
「最近になってようやく心の落ち着きを取り戻せた感じ。でも、 夜になるとね…」。昨年九月に二男のジェーソンさんを失った母親 のジーナ・ウィットコムさん(51)は、職場の一室で、今は亡き息子 の写真を見つめた。 オクラホマ州の州都オクラホマシティー。人口約六十万人の街の 中心部に、ジーナさんが勤める銀行はあった。 「高校を卒業したばかりのジェーソンが、陸軍入隊のために家を 出たのが一九九〇年八月六日。十七歳の彼が、一年後にはつえを使 わないと歩けないなんて夢にも思っていなかったわ」 ![]() 空てい部隊に配属され、九一年一月、サウジアラビアへ。会社員 の夫のジムさん(55)とともに息子を迎えたのは、本国帰還時に休暇 で戻った四月初めだった。「その時も頭痛や関節の痛みは訴えてい たの。外見は以前と少しも変わらなかったのに」と、ジーナさんは 振り返る。 七月半ばになって、ノースカロライナ州の基地に息子を訪ねた夫 妻は、自分たちの目を疑った。一八三センチ、八十キロあった筋肉 質の体はやせ細り、足をかばうように歩いた。三カ月余で息子の健 康状態は激変していた。股(こ)関節や足の痛み、胃腸障害、激し い頭痛など症状は時とともに悪化し、九二年四月、四年の契約を待 たず除隊した。 「当時は何が原因か、全く分からなかった。劣化ウランなんてい う言葉を聞くようになったのは随分後のことよ」 ジーナさんによると、ジェーソンさんの部隊の任務は、主として イラク軍が砂漠に設けた武器弾薬庫を破壊することだった。化学兵 器も含まれていたらしい。劣化ウラン弾で破壊されたイラク軍の戦 車、トラックなどが散乱する汚染地帯にも足を踏み入れた。十分テ ストもされていない、抗化学兵器剤の臭化ピリドスチグミン(P B)も強制的に取らされた。 ![]() 「除隊一カ月後の五月に、地元の退役軍人病院を初めて訪ねた の。医師は、息子の年齢で『そんな病気になるはずはない』と、精 神治療を始めた。ストレス、ストレス…最初はこればっかりよ」 むろん、ジェーソンさんの病気は精神治療で治るはずもなく、九 四年からは車いす生活に。化学物質にも敏感な反応を示した。やが て人との接触を避け、高校時代から知り合いのショーンさん(26)と その年に結婚したのを機に、隣のアーカンソー州の自然動物保護区 へ移り住んだ。 「美しい自然と澄んだ空気。そこでのボランティア活動をとても 気に入っていたの」。一方で自分の病気の原因を突き止めるため に、血液検査など全米各地のさまざまな研究プログラムにも加わっ ていたという。 ![]() 前向きな生き方をしていたジェーソンさん。だが、九九年九月二十 四日、突然の死が訪れる。けん銃によって二十六歳の若い命は散っ た。 「遺書があったわけではないので、偶発的な事故だった可能性も あるの。でも、検視では自殺ということになっているわ」 ウィットコム夫妻は、息子の死が自殺だとすれば、頭痛や関節 炎、腹痛など、八年間耐えてきた体中の痛みが極限に達したためだ と自分たちを納得させている。死亡後、肺などの組織を研究機関に も送った。 「既に亡くなったジェーソンや一万人の湾岸戦争退役軍人には遅 すぎるけど、少しでも原因究明に役立てばと思って」 原因が分かれば治療法が見つかるかもしれない。しかし、それま でにもジェーソンさんのように「遅れてきた戦死者」の数は、まだ まだ増え続けるのだろう。 |
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