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2000年6月6日
4 民間契約
「このひもを引っ張ると看護婦に連絡できるんだ」。一九九一年 の湾岸戦争に民間人として加わったポール・コナリーさん(37)は、 生活保護世帯のお年寄りや病人らが住む集合住宅の一室で、天井か ら下りたひもに手をかけ、弱々しい笑いを浮かべた。 ![]() 「昨年の九月から週三回、近くの病院で腎臓(じんぞう)透析を 受けている。でなければ、とっくに死んでいただろう」。二の腕の 浮き出た静脈の注射痕が、痛々しい。 ロンドンの中心部から南西へ車で約一時間。市営の集合住宅があ るセント・ジョーンズ市は、彼の故郷である。中学を卒業し、十六 歳で通信関連会社に入社。軍事関連の通信システム技術者として腕 を磨いた。 戦場で通信システムが機能するかどうかは、軍の作戦にかかわる 生命線である。高温の砂漠地帯での実戦使用は初めての経験。陸軍 との契約下にある会社を通じて、コナリーさんに白羽の矢が立っ た。「命への不安がなかったと言えばうそになるけど、OKした よ」 戦場で使う通信システムについては、八〇年代後半からドイツ各 地にある英軍基地で扱っており、精通していた。だが中東の自然条 件は、戸外にある通信機器にとって、予想をはるかに超えて過酷だ った。「コンデンサーを冷却するのに常にファンが回っているん だ。かぶった砂ぼこりを圧縮空気で吹き飛ばさないとすぐ故障につ ながってしまう」 ![]() 一日の仕事を終えると顔も体もほこりだらけ。ストームに襲われ ることもあった。戦線が拡大するにつれサウジ、クウェート、イラ クを何度も通った。「イラク兵のむごい死体もたくさん見てしまっ たよ」 戦闘終結から約三カ月後の九一年五月に帰国。そのころから体調 を崩し、七月には元の会社を辞めた。「とにかく体が疲れてエネル ギーが出ないんだ」。その後、別会社に就職したが、頭痛が激しく なるなど体調は悪化するばかりだった。 九三年、腎臓の生体検査を受け、腎炎と診断された。コナリーさ んが、劣化ウランという言葉に初めて接し、湾岸戦争退役兵の間に 腎臓障害が多いと知ったのは九四年のこと。「新聞記事でね。劣化 ウラン粒子を体内に取り込むと、放射線の影響だけでなく、毒性の 強い重金属汚染が腎臓などの機能を侵してしまう恐れがある。そん なことが書いてあった」 戦場にいる間、彼は環境に放出された汚染物質はすべて吸入して しまったと思った。民間人ではあったが、国防省と掛け合い血液検 査やレントゲン検査を受けた。「医師は病気は認めたよ。でも『湾 岸戦争には一切関係ない』のひと言。冷たいものさ」 体力が続かず、九六年に仕事をやめた。ローンが払えずに家を失 い、五年間一緒に暮らした彼女も去った。ホームレス生活を救って くれたのは、家庭を持つ姉だった。担当医の市への手紙で、三カ月 後に現在の住居があてがわれた。 同じ年に、退役軍人との交流で知ったカナダや米国の専門家に尿 の分析をしてもらった。「劣化ウランが含まれている兆候はあるけ ど、尿にタンパクが出過ぎてきれいに分離できない。どちらからも 同じような結果が届いてね…」 ![]() 軍隊勤務での傷害や疾病により、退役軍人に支給される戦争年金 を軍に請求したが「資格がない」と却下された。今は週七十ポンド (約一万一千五百円)の生活保護費が唯一の収入である。 「できれば腎臓移植を受けたいし、真実を明かすために法廷でも 争いたい。でも、もう希望は抱かないことにしている」。コナリー さんは、寂しい笑い声を上げた。「ぼくは笑うほかないんだよ。で なければ泣くしかないものね…」 心の奥深くに「絶望」を包み込んで一日一日を生きるコナリーさ んに、慰めの言葉もなかった。 |
![]() 「どの部屋にもこれがついている」と、天井から下がる緊 急連絡用のひもを手にするポール・コナリーさん(イングランド・ セント・ジョーンズ市) |
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