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2000年6月2日
1 国防義勇隊員
ロンドンから北へ約三百キロ。かつて漁港として栄えたイングラ ンド中東部のハル市は、北海にほど近いハンバー川河口にあった。 人口二十五万人の市北部住宅地にレイ・ブリストウさん(42)を訪ね た。 ![]() 「足がすっかり弱くなってね。随分前から支えがないと歩けない んだ」。出迎えてくれたブリストウさんは、つえを支えに居間に向 かい、ソファに腰を下ろした。「わずか二カ月余りの湾岸体験で、 自分の体じゃなくなってしまった」。ゆっくりとした口調に、悔し さがにじむ。 高校卒業後、社交ダンスのインストラクターの資格を取って夜間 に教える傍ら、昼間は医療技術者として地元の病院の救急室で働い た。「国にも奉仕したい」と、十七歳で国防義勇隊に登録。週末など に訓練を受けた。 イラクがクウェートに侵攻して三カ月後の一九九〇年十一月、 「医療班スタッフとして中東へ出向いてほしい」と要請があった。 「救急医療現場での経験と軍事訓練の積み重ねを生かし、今こそ 国に奉仕する時」。妻で看護婦のデボラさん(35)に相談することも なく参戦を決意。幼かったレイチェルさん(14)とクレアさん(12)の 二人の娘を残し、九一年一月初旬、サウジアラビアへ飛んだ。 イラク国境近くに二百床の野戦病院を設営し、負傷兵の治療に当 たった。「運ばれてくるのはほとんどがイラク兵。特に地上戦(二 月二十四日―二十八日)の間は、足が切断されたり、内臓が飛び出 した兵士などひどいものだった」。脱がせた服からは、ほこりが舞 い上がった。 むごい光景は救急医療室で見慣れており、ショックを受けるとい うほどではなかった。「ただ戦争前までは健康だった若者が負傷を 負い、死んでいくのが悲しかった。目前の現実が、戦争の代償の大 きさを突きつけてきた」。その時の様子を思い出し、目を潤ませる ブリストウさんには当時なお、自身の健康喪失までが代償に含まれ ているとは思いも及ばなかった。 ![]() 体調の悪化は、三月十五日の帰国とほぼ同時に始まった。頭痛、 全身疲労、胃腸障害…。湾岸戦争に伴う疾病について何の情報もな かった。九三年になり、病院でたまたま手にした女性雑誌の記事が 目に留まった。「一人の湾岸戦争退役兵の病状について触れてい た。まるで自分のことが書かれているようで…」 妻にもその記事を見せ、病気の原因と治療法を探る夫妻の努力が 始まった。体調悪化で病院勤務を断念した九六年、カナダの専門家 に尿検査を頼んだ。高レベルの劣化ウランが検出された。 「前線から離れていたので驚いたよ。きっと負傷したイラク兵の 服などに付着した劣化ウラン粒子を、体内に大量に取り込んだに違 いない」。あの時のほこりを思い出した。国防省に問い合わせても 「心配はいらない」の一点張り。何の解決にもならなかった。 ![]() 食事療法とさまざまな薬の摂取。それでも年々体力は衰え、関節 痛も増すばかり。記憶力の喪失も激しくなってきた。「今では死の 順番を待っているようなもの。ヒロシマ、ナガサキのスローな死と 同じだよ…」 希望の見えない闘病生活。「妻と成長した娘が自分の状態を理解 してくれるようになったのが唯一の救い」。ブリストウさんは、学 校から帰宅したばかりの二人に笑みを送った。 |