中国新聞社


'98/8/1

復活の井戸安眠の祈り

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被爆した人々が次々に逃れてきた清水谷神社の沢水。今は、宮司の渡辺正信さんが一人で守り続ける
 「ここの水を求めて、大勢の人間が死んでいった。元気になった人たちも、ちょっと前までは訪ねて来ていたんですがね…」

 広島市東区温品、清水谷神社の宮司渡辺正信さん(63)は、敷地内を静かに流れる沢水を指差しながらつぶやいた。

 社伝にはこうある。「この清水にて諸病を治し、飲用すれば長寿を保つべし」と。

 そのことを知っていたわけではないだろうが、原爆が投下された二時間後にはやけどを負った被爆者が境内にあふれ返った。軽傷だった被爆者は、沢の水を使って傷跡を洗い、手持ちのわずかな米をといで生き延びた。が、ほとんどの被爆者は、夜な夜な水を求めて姿を消し、沢のほとりで死んでいた。

 「あの日」の清水谷神社を知る人は、ほとんどいない。「あの時は本当にお世話になりました」と、当時をしのんで神社にお参りに来ていた人も、最近めっきり減った。「病気が思わしくなくて…。今年で終わらせていただきます」。こう記した年賀状も届いた。

 「この沢の水には、数百を数える人たちの思いが宿っている。たとえ一人になっても守り続けねば」。渡辺さんは、毎週水をくみに沢を訪れる。そして、神社の榊(さかき)にかけ、死没者の霊を慰める。

おわり

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 「献水」は報道部・門脇正樹、野島正徳、写真部・松元潮が担当しました。
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献水
 
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