印パ核競争 危険な抑止論

'98/5/31

 「次にヒロシマが繰り返されるとすれば南アジアだ」―反核運動 にかかわる著名な米国人医師や、米原爆製造計画の「マンハッタン ・プロジェクト」に参加した核物理学者からこんな言葉を聞いた。 被爆五十周年の関連取材で米国を訪れた四年前のことだ。

 それから二年後の一九九六年、領土の帰属をめぐり紛争が続くジ ャムー・カシミール地方を含め、約四カ月間、インドとパキスタン を取材した。実際に取材を進めながら、あらためて「ヒロシマ」が 繰り返される危うさを強く感じざるを得なかった。

 そしてその両国は今、核保有国となった。印パの核対峙(じ) は、かつて冷戦下に米国と旧ソ連が厳しく核対峙した時以上に、 「抑止の敷居」が低いと言わざるを得ない。

 国境を接しない米ソ(ロ)間では、大陸間弾道ミサイル(ICB M)を使用してもなお、核弾頭が相手国に届くまでに十分から十五 分の時間的余裕があった。その余裕が政策決定に当たる政治指導者 や軍幹部にわずかなりとも冷静さを与えた、と言えるだろう。

 しかし、隣国同士のインド、パキスタンはアラビア海から中国国 境に至るまでの二千キロ以上にわたって国境を接する。その長さは広 島から北海道を越え、はるかオホーツク海に達する。印パ間の距離 のなさが、ミサイル開発の発達とも相まって政策決定者の心理を一 層「先制攻撃」へと向かわせる可能性が高い。

 しかも、両国北部のジャムー・カシミール地方では、領土の帰属 問題をめぐり、四七年の英国からの分離独立以来、戦火が絶えな い。世界第二の高峰K2(八、六一一メートル)近くのシアチン氷河付近 では、氷河を挟みインド軍とパキスタン軍が標高五千二百―六千七 百メートルの「雲の上の戦場」で、「一インチたりとも領土は譲れない」と、 互いに大きな犠牲と膨大な軍事費を投入し戦闘を続けているのだ。

 パキスタンでは、カシミールでのイスラム教徒に対するインド軍 の残虐行為を連日、テレビで放映。公教育でも「ヒンズー教徒は悪 い」と反ヒンズー、反インド感情を子どもたちに植え付ける。広い 知識を持っているはずの大学生らの間でさえ「インドはいつもパキ スタンを占領したいと思っているのだ」と真顔で訴えたものであ る。

 インドでもパキスタンほどではないが、状況は似通っている。大 多数の人々はパキスタン人との接触もないまま「信用できない」 「嫌いだ」との反応が返ってくる。

 かつての米ソ間の対立は「資本主義」対「共産主義」のイデオロ ギー対決だった。それに対し印パ間の対立は、領土問題をはらみな がらの宗教的対立。「イスラムの神アラーに殉じることでわれわれ は生かされる」。カシミールに配属されたパキスタンの青年将校や 兵士たちはジハード(聖戦)を固く信じている。一方のインド兵た ちもヒンズーの神々をたたえ、「インドは一つ、インドは偉大だ」 と、常に感情を高揚させ、敵がい心を高める。

 独立から五十一年。この間、印パ両国は「力の政治」が支配した 国際政治の波にも大きく揺さぶられながら「安全保障」の名の下、 国民の生活水準向上を犠牲にしながら軍備を増強してきた。その行 き着いた先が「究極の破壊兵器」と言われる核兵器とミサイルの保 持である。「核抑止力」として所有したこれらの兵器に、憎悪を高 めるためにしか作用しない宗教が動員される時、それは本当に使用 されることのない核抑止力として機能するのか。

 「核時代の幕開け」となった広島、長崎への原爆投下以来、人類 は幸い、現実の戦争で核兵器を使うことはなかった。しかし、朝鮮 戦争をはじめその可能性は何度もあった。とりわけ、米国の鼻先に ソ連が核ミサイルを突き付けた六二年のキューバ・ミサイル危機で は、人類は文字通り「破滅のふち」に立ち至った。

 互いののど元に「核弾頭」を突き付け合い、非難の応酬をエスカ レートさせる印パ両国。その姿は、あたかもキューバ・ミサイル危 機と同じ状況を、南アジアという地域の中で、常時抱えてしまった と言わざるを得ない。

 「次にヒロシマが繰り返されるとしたら…」。その言葉は今、一 層現実味を帯び、迫ってくる。

 「ノーモア・ヒロシマズ」を訴え続けてきた被爆地の私たち。同 じ悲劇を決して繰り返させないために、私たちはヒロシマからのメ ッセージを両国民に送り続けなければならない。(田城 明編集委 員)


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