中国新聞社

人類は生きねばならぬ

体験継承の一翼を担う
新たな発信
'98/7/29
(7)被爆地の学生

広島大の授業で「黒い雨」について調査発表する森さん(左)。「被爆の問題をきちんと語れるようになりたい」と話す
 ヒロシマ題材に調査・発表

 赤レンガの被爆建物が残る広島市南区の広島大霞キャンパス。七月中旬、医学部二年の森奈穂さん(20)は「被爆者健康管理・対策史」の授業で、友人と、原爆投下後に降った「黒い雨」について発表した。

 この日に備えて参考文献を集め、読み込んだ。成分や降ったエリアを調べた。授業を通じて、忘れてはならないことが分かり、心の中に植え付けられた気がする。

 広島大付属小二年だった一九八七年、米市民団体が派遣した「子供平和大使」を務めた。世界八カ国の子どもたちと、核保有国やインドなど六カ国を回り、首脳たちに荒木武広島市長から託されたメッセージや原爆記録写真集を手渡した。

 インドも訪ねた。「私より年少の子どもたちが物売りしをていたのが強烈な印象。なぜ軍事費を貧しい人たちの医療衛生に回さないのか…」

 インド、パキスタンの核実験応酬という不毛な国威発揚競争に、抱き続ける疑問と願いがうずく。医師を志したのは、人間を大事にしたい思いからだった。

 被爆者健康管理・対策史の受講生は医学部の学生約百人。授業を受け持つ原爆放射能医学研究所の早川式彦教授(56)は「被爆地の学生といえども、教えなければ核の問題について関心や知識を持たずに卒業してしまう」と言う。

 三年前から続く授業を今年は学生が二人一組となり、ヒロシマをめぐる五十のテーマを調べて発表し、学ぶ方式を採った。

 森さんは、留学生支援のボランティア活動に参加し、原爆資料館も案内する。「核兵器を信奉するのは国や政治家。市民同士の交流がもっと深まれば、国と国の壁を壊せるのではないでしょうか」。子どものころ世界と交流した経験を伝えようと思う。

◇  ◇  ◇

 「サッカー談議と同じように、核の問題も熱っぽく話したい」。長崎大教育学部四年の中野和典さん(23)は、長崎原爆忌の翌八月十日に旗揚げする「ナガサキ平和学生会議」の準備に忙しい。

 市の外郭団体の長崎平和推進協会が、昨年末から開く「学生ボランティア養成講座」を受講したのがきっかけだった。講座は、被爆者の高齢化に伴って若い世代に体験を継承する狙いだった。

 原爆資料館の所蔵資料の説明を受け、被爆者の体験を月一回聞いた。机を並べたクラスメートの森戸寧子さん(21)と「全国の学生と平和を考えるネットワークをつくろう」と思い立った。

 会議では、それぞれが専攻する分野から、インド・パキスタンの核軍拡競争を止めるために何ができるかも話し合う。全国約三百の大学に送った参加要請にこたえたのは山形大や立命館大など四校にとどまる。気長に働き掛けるつもりだ。

 森さんや中野さんたちが期せずして口にした。「若い世代はいったん関心を抱けば、行動力はある」。きっかけさえあれば、ヒロシマ・ナガサキの新たな継承者が現れ、発信できると考えている。



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