被爆者の声、なぜ世界に届かぬ(1)
'98/6/12
インド、パキスタンの相次ぐ核実験強行は、核軍縮努力を怠ったまま、核不拡散体制を堅持しようとした核保有五大国のエゴを浮き彫りにした。両国の核実験を受け、スイスのジュネーブで開かれた五大国の緊急外相会議でも、「核連鎖」の危機に対する有効な答えを出せなかった。今、ヒロシマは何をしなければならないのか。第二部は、「核のない世界」の実現を目指す各分野の人々に聞いた。
▽使命放棄した政府が壁
不安 印パで現実に
日本被団協代表委員・山梨大学長
伊東 壮氏いとう・たけし 広島市中区出身。中学3年の時に被爆。被団協事務局長などを経て80年から代表委員。山梨大教授、92年から学長。専攻は地域経済。著書に「原爆被害者の半世紀」など。68歳。 冷戦が終わり、世の中の核をめぐる状況は楽観的な雰囲気に包まれていた。しかし、私は五カ国だけに核の独占を許す核不拡散条約(NPT)の論理的、道徳的矛盾への批判がくすぶり、核は拡散すると思っていたし、五カ国の核軍拡競争もまだ続くとみていた。放っておいたら危険だと、ずっと指摘してきた。印パの核実験強行で、その不安が現実になってしまった。
これまでも、保有国が核実験を強行する度に、悔しい思いで歯ぎしりをしてきた。私たちと同じように核兵器廃絶を強い口調で主張してきた、非同盟諸国の実験強行だけに、ショックは大きい。
むごさ伝えるだけ
被爆者が言い続けてきたことはシンプルだ。核兵器では、国も人類も救えない。これに尽きる。ヒロシマ、ナガサキの体験を基に、核兵器のむごさを伝えるしかなかった。今回の印パの核実験という事実を前に、私たちの力は足りなかったのか、という気もする。半面、ヒロシマ、ナガサキ以降、少なくとも核戦争は起きていない。これは被爆者の声の力が大きいと確信している。
印パの民衆は、自国の核実験の成功を喜んでいると聞く。核兵器がどんな被害をもたらすか、知らないのだ。世界で唯一の被爆体験を何も伝えようとしなかった日本政府の姿勢が問われている。被爆者がいくら訴えても、国は何一つしてこなかった。人ごとのように。
核兵器使用の国際法上の違法性が問われた国際司法裁判所(ICJ)でも、国は広島、長崎両市長の証言を否定するような発言をした。米国の「核の傘」の下にいる遠慮、戦後の占領下の怯(おび)えを今でもひきずっているのだろうか。
政策転換の契機に
被爆者援護法ができるまで、国に対する被爆者の運動の力点は、どちらかと言えば援護法の実現に置かれていた。もちろん国家補償の精神を抜きにした現行の援護法は不十分で、依然として重要な課題だ。しかし印パの核実験によって、核兵器廃絶という原点の運動に再び力を振り絞らなければならなくなった。外務省に対し、核被害を受けた国の歴史的使命を果たすよう強く求めたい。印パの核実験を、日本がこれまでの核政策を転換する契機にしなくてはならない。
これからも、世界に向けて被爆の惨状を証言や写真、手記、絵などで伝え続ける。愚直と言われても、私たちにはそれしかない。被爆者は老いた。後を継いでくれる若い人たちが今、どれだけいるか。被爆体験を語り継いでくれる人を、どう育てればいいのか。その課題が重くのしかかる。私たちの声に呼応してくれる市民の力、そして政治がどうしても必要だ。
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