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暴力に屈せず平和訴え'98/7/8
(6)平和への意志
反政府報道できぬ悩みも
平和集会で武田さんの証言を聞いて涙をぬぐうズベリさん(右)
(パキスタン・イスラマバード)六月二十三日午後五時、パキスタン・イスラマバード中心部にあるホテルの宴会場。市民百五十人を前に、被爆者の武田靖彦さん(65)=広島市安芸区=の証言が始まった。
被爆三日後に十六歳で死亡した姉、素子さんの最期を話した時だった。前列から三列目に座っていたテレビ局記者のヘナ・ズベリさん(24)が顔を覆った。左手が小刻みに震えている。みけんには深いしわ。ほほに涙が伝わる。
「私の妹も十六歳。あんなむごいことが妹に起きたらと思うと…」と声を震わせる。「核兵器は国の安全を守れない。ミスで核戦争が起きる方が怖い」
集会後、ぶしつけとは思ったが、聞いてみた。「どのように報道しますか?」「いや、個人的に集会に参加したから…」。口ごもって言った。
◇ ◇ ◇ 二日後、ラホールで、一連の集会を主催した「平和と民主主義を求めるパキスタン・インド人民フォーラム」の提唱者、元蔵相のムバシ・ハッサンさん(76)と会った。
ズベリさんの話をすると、温和な顔に同情の色を浮かべた。「この国では政府に不都合なことは放映できない。彼女だけを責められないですよ」
イスラマバード周辺のテレビ局三社のうち二社は国営。残る民間もほとんどニュースは流さず、流したとしても二社と同様の内容になるという。
加えて、カラチの地元新聞は連日のように、政治対立による民族・政治団体メンバーらの殺人事件を伝えている。英字紙「ザ・ネイション」によると一月から六月二十七日までの犠牲者は四百六十三人に上る。
◇ ◇ ◇ 証言会の三週間前には、フォーラムの記者会見にイスラム原理主義団体の二十人が乱入。いすを投げたりして妨害した。けが人も出た。
「暴力に屈すれば、人々の口はさらに重くなる」。身長一八〇センチ。長身痩躯(そうく)の表現がぴったりの体に鋼のような意志をみなぎらせて、ハッサンさんは言う。
ラホールの大学で土木工学を教えていた六二年、軍事独裁政権が出した戒厳令に抵抗し、大学を追われた。七三年から三年間、蔵相を務めたものの、三度の軍事政権下では数度逮捕され、拷問も受けた民主化の闘士である。
◇ ◇ ◇ カシミール紛争が激化したのをきっかけに九四年、民間レベルの印パ交流を目指して有識者に呼び掛け、フォーラムを旗揚げ。両国市民の交流セミナーを開いている。昨年は「インド・パキスタンと平和交流を進める広島市民の会」も受け入れた。
「戦争、原爆の被害者である被爆者が何度も来て訴えてくれれば、平和を求める声が暴力を包み込み、報道されるようになりますよ」。ハッサンさんの言葉に、武田さんは証言の重要性をあらためて感じた。
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