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規制はねつけ地道に運動'98/7/6
(4)平和の旗手たち
法廷闘争や街角で断食
集会を終え、ビデオの提供を求めてきたジャバルさん(右)と笑顔で握手する武田さん
(インド・ニューデリー)被爆者武田靖彦さん(65)=広島市安芸区=の印パ行脚は十二日間に及んだ。十カ所で計十八回の証言活動をこなせた裏には、現地の平和活動家たちのサポートや励ましがあった。
六月二十日夜、インド・ムンバイ空港。「どこに撮影禁止と書いてあるのか」。「だめなものはだめだ」。市民活動家ヨゲッシュ・カムダーさん(43)と警察官との激しいやり取りが空港内に響いた。
撮影していた地元テレビ局スタッフを、警察官が制したからだった。きゃしゃな体付きにもかかわらず、カムダーさんは屈強な警察官を見上げ、決してひるまない。小わきに抱えた小銃が鈍い光を放つ。
二人がやり合っている間に、日本山妙法寺の僧、森田捷泉さん(52)が武田さんを車に案内した。その後をカムダーさんと一緒に追った。
ムンバイは漁港の町である。バラック建ての民家が並ぶ町並みから、魚のにおいが漂って来る。「核実験以来、私たちの集会への規制が厳しくなってね。いつものことですよ」。何事もなかったかのように、カムダーさんが言った。
両親はマハトマ・ガンジーの独立運動に参加し、投獄経験を持つ。一九七〇年代、政治腐敗を追及する学生運動に飛び込み、反核平和運動にも力を入れるようになった。
原発事故を想定した被害を政府が発表するよう求めて法廷闘争を続けている。「核戦争につながる核実験は、子どもたちの未来を消す」。カムダーさんの言葉には確信が満ちていた。
一時間かけてたどりついた会場のジャーナリスト労組事務局には、五十人が待っていた。飛行機は三時間も遅れたのに、カムダーさんと森田さんは、空港から電話を入れ、引き留めてくれていたのだった。
集会後、森田さんと話し込んだ。インドの核実験後、街角で断食をして抗議。地元新聞のトップを飾った平和活動家である。
札幌市出身。中学生の時、被爆記録フィルムを見た。三日間眠れなかった。七〇年、仏舎利塔づくりの手助けでインドに来た。「非暴力主義を貫いたガンジーの国なのに、核実験するなんて悔しくて」。すっかりこの土地に溶け込んでいる。濃いまゆに平和への強い意志を感じさせた。
その三日前だった。ニューデリーでの平和集会後、武田さんに女性が歩み寄った。フリーライターのソニア・ジャバルさん(33)。「『はだしのゲン』のビデオはありますか。平和教材として大学などに配りたい」とほほ笑みかけた。
五年前に英語版の漫画「はだしのゲン」を読み、ヒロシマを知った。母国の核実験再開で、本格的に反核活動を始めたという。
「あなたの証言を聞いて、さらに気持ちが固まりました」とソニアさん。反核ビデオや写真を贈る約束をした後、武田さんは言った。「草の根の運動はきっといつか実を結ぶ」。
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