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新たな核危機の到来が告げられるなか、広島は被爆五十三年の
「原爆の日」を迎えた。冷戦終結後、わずかながらも前進しつつあ
る核兵器廃絶への歩みをインド、パキスタンの相次ぐ核実験が根底
から揺さぶった。しかしこの衝撃を転換点に、廃絶への障害を取り
除くための具体的で実効あるシナリオ、アクション・プログラムを
示す機会ととらえたい。
折しもジュネーブ軍縮会議(六十一カ国で構成)は、核兵器用核
分裂物質の生産禁止(カットオフ)条約について、交渉開始のため
の特別委員会設置に合意した。最後まで反対していたパキスタンが
開始同意に方針転換したためで、核拡散防止の重要な柱の一つが一
歩前進した。核兵器廃絶に近道はなく、着実な歩みの積み重ねを大
事にしたい。
一日付本紙朝刊は、被爆五年後の一九五〇年、広島市が募集した
体験記のうち未公開の百三十六編を中心に特集を掲載した。「…そ
の瞬間、いきなり眼前が、パッと、真黄色になった。今にして思え
ばその瞬間こそ、『文明の悲劇』への第一歩だったのだ…」。当
時、旧制高女の新人教師として学徒動員先で被爆した東岸(旧姓馬
場)初江さん(74)の予言どおり、世界はその後、幾多の悲劇を繰り
返し、今またその愚を重ねかねない状況下にある。
私たちはいま、何から手がけるべきかを共通のテーマとしたい。
その第一は、「唯一の被爆国」という基本認識の上に立ち、世界へ
向けてさまざまな角度、いろいろな分野から行動的にアプローチす
ることである。それにはまず、政府の役割がある。わが国の非核政
策は、絶えず米国を意識した追随対応であった。日米安保体制のも
と、「核の傘」に守られているという意識があるとはいえ、固有の
立場を貫くことはなかった。
印パ両国の核実験以来、より積極的な言動が政府部内で目立つよ
うにはなった。しかし核不拡散・核軍縮の提言をまとめるための、
国内外の識者を含めた緊急行動会議(今月末、東京)はその討議内
容、方向づけとも従来の枠を越えられそうにない気配だ。会議は、
政府の音頭で広島平和研究所と外務省の外郭団体、日本国際問題研
究所が共催する。
広島平和研は今後二、三年で核兵器廃絶に向けて、当面の核軍縮
の方法、その段階などについて一定の方向を示す役割を担ってお
り、会議でもそれらの課題を話し合う計画であった。しかし米国の
国防政策に離反するような討議に難色を示す外務省の思惑から、会
議内容が期待外れに終わる可能性が強い。
二十数年前、広島市がニューヨークの国連本部ロビーで、被爆写
真展の開催を希望していた時の状況を思い起こす。日本代表やわが
国派遣の国連幹部とまず交渉したが、問題にもされなかった。米国
への気兼ね意識は、当時も今もほとんど変わっていない。高村正彦
外相は、就任早々、従来から提案してきた核兵器の究極的廃絶決議
について「今秋の国連総会には、一歩踏み込んだ新たな決議を用意
する」と言明した。
従来の提案は、核兵器廃絶のプロセスなど具体的な内容には全く
触れず、抽象的な表現にとどまっているため、昨年まで四年連続で
採択されながら実効性がない。そればかりか昨年まで、二年連続で
マレーシアが提案した「核兵器全面禁止条約の早期締結に向けての
交渉開始を要求する決議」には棄権し続けている。米国は日本の賛
成を容認しない、との思惑からだ。高村外相は、こうした外務省の
壁を突き破ってほしい。
広島の役割も、決して生易しくはない。核兵器廃絶へ手段、方法
など理論的な構築と提言を目指す広島平和研は先月、今後検討すべ
きテーマとして(1)核廃絶へのプロセス(2)北東アジアにおける緊張緩
和、信頼醸成、軍縮(3)国連の平和維持活動(PKO)と人道援助(4)
軍縮データベースの検討―の四項目を決めた。
軍縮状況の監視など、テーマに沿った八項目にわたる中、長期の
取り組みも明らかにした。それぞれに期待するところは大きい。し
かし米国の核の傘のもとでの核廃絶の訴えの弱さに直面する時、国
際世論にも耐えうる理論の構築が必要である。政府を動かす意味で
も検討項目に加えてほしい。
被爆の実相を広く伝えることもさらに重要である。広島市は被爆
五十周年を機会に毎年二回、欧米やインドで写真、資料展を開催し
てきた。民間団体も含めた以前からのパネル展を加えるとかなりの
回数になる。それでもまだ九牛の一毛にすぎない。国内でさえ、五
道県、七市だけである。本来、この種の催しは政府の役割かもしれ
ない。しかし民間団体とも相携えて、まず国内の広がりから進める
必要性を痛感する。
広島アジア大会を契機に、一(公民)館一国・地域運動の広がり
は予想以上である。わずか十数人で、海外との交流や援助活動に実
績を上げているグループも少なくない。青少年を含めた草の根やボ
ランティア活動は着実に芽ばえ、伸びている。
しかし核廃絶への道は険しい。希望を持って粘り強く継続した
い。ヒロシマが日本政府を動かし、世界の人々に働きかけ、核廃絶
への道を確かなものにするために。
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