「軍事費が負担になっているのは事実。でも必要に迫られての
こと」と話すグーラム・グーマンさん (デンサム村ベースキャンプ) |
「シアチン氷河周辺での戦闘状況は十年前とそれほど変わってい ない」。デンサム村ベースキャンプ滞在三日目の朝、地下司令室で グーラム・グーマン副司令官(33)は、思案げに言った。
一九八六年以来、二度目のシアチン勤務。山の危険と同時に、地 形や印パ両軍の陣形を知り尽くしている。
「標高五、六千メートルの氷河地帯では、数十メートル移動するのも容易でな い。地上のように前進して相手を追い詰めるというのは難しい…」
インド軍をシアチン氷河から力ずくで撤退させるのは至難であ る。ならば「敵をアイスボックスに閉じ込めてしまう」(グーマン さん)以外にない。
しかしアイスボックスに閉ざされるのは、パキスタン軍も同じ。 こう着状態のまま、人命と膨大な経費、資源が白い氷河にのみ込ま れてゆく。
八四年に戦闘が始まって以来、軍事専門家筋の間では、両軍合わ せ八千人以上の死者が出ているとみている。高山病による病人や事 故による負傷者の数は、むろん死者の何倍にもなる。
『カシミールへのインドの約束』(九四年刊)などの著書による と、カシミール管理にかかるインドの軍事費は、一日一億九千万ルピー (約六億六千五百万円)余。このうちシアチン氷河での戦闘には、 その三分の一の約六千六百万ルピーを投入しているとしている。
インドにとってシアチンでの戦闘が高価なのは、主要には前線へ の補給がすべて飛行機やヘリコプターに依存しなければならないた めだ。兵士の食料、燃料、弾薬…。しかし上空からでは、補給物資 を雪の中に見失うことも多い。
パキスタンは、インドに比べ補給にかかる費用は比較的少ないと みられている。最前線の近くまで道路があり、後はラバや馬が物資 を運ぶからだ。
とはいえ、やはりその負担は「平地の比ではない」とグーマンさ んら軍幹部も認める。
問題解決のため印パ両国は、八四年の戦闘開始直後から何度か 軍、政府レベルで話し合って来た。しかし、結局はインドが実効支 配の「既得権」を主張し、パキスタンは「絶対認めることができな い」と平行線のまま。
とりわけ、八九年末以来、カシミール盆地でのイスラム教徒の反 インド武装ゲリラとインド治安部隊による衝突が激化すると、「パ キスタンはゲリラ支援をやめよ」「インド軍は残虐行為をしてい る」と、互いに非難の応酬を繰り返し、シアチン紛争の解決は一層 遠のいた。
パキスタン側には、「核抑止力が働いているから、インドが全面 戦争をしかけてこないのだ」との見方さえある。
独立半世紀。この節目に、両政府は積み重なった不信を超え、解 決の糸口を手繰り寄せることができるだろうか。それができなけれ ば、「勝敗」のつかぬまま、命と資源が失われ続ける。
「侵略者がいる以上、たとえそこが氷河であっても、われわれは 動くことはない」
独身で、一人息子のグーマンさん。母が亡くなり、今、家族は父 親だけ。「お父さんのためにも命を大事にして下さい」。私がそう 声を掛けると、笑みを浮かべて彼は言った。
「長く生きるよりアラーと国家のために名誉の死を遂げる方が大 切。家族が少ないだけ、気が楽ですよ」
(田城 明編集委員)