クンダス氷河は中央の白い部分から、道路左側の土石に覆われた部分へと 続く。険しい道には危険がいっぱいである (シチアン最前線への途中) |
標高約五千メートルに位置するシアチン氷河まで到達するには、ヘリコ プターを利用するか、四―六週間かけて体を徐々に高度に慣らし、 歩くしかない。ヘリだと一時間程度なら、いきなり地上に降りても 大丈夫と聞いていた。
体を高度に合わせるだけの時間的余裕のない私は、ヘリコプター がチャーターできないだろうか、と前線司令部のファヒム・カーン 司令官(45)に依頼した。
「実は昨日も病人が出て、ヘリでラワルピンディの軍病院まで運 んだばかり。標高六千メートルにもなると、いつ病人や負傷者が出るか分 からない。ヘリはそのために常に待機させておかないといけないん だ」
カーンさんは、その代わりに「あなたの健康に影響を及ぼさない 範囲で」と、標高約三千七百メートルから始まるクンダス氷河辺りまでジ ープで行くことを許可してくれた。基地から約二十五キロの道のり。
将校のアーメドさん(24)=仮名=が運転するジープは、小さな基 地を出た途端、悪路と格闘するように坂を上った。氷河から流れ出 た小川を左側に、右側には急峻(きゅうしゅん)な山が迫る。がけ 崩れでもあれば、観念するしかない。
「十一月下旬になって雪が積もると、もうこの道も使えなくな る」。六千メートル以上の最前線から最近ベースキャンプに戻ったばかり のアーメドさんは、慎重にハンドル操作をしながら、もう一つの 敵、「自然との戦争」の厳しさを語った。
酸素不足から起きる頭痛、食欲不振、吐き気などはごく普通の症 状。六千メートル以上にもなると、肺や脳に水がたまる浮腫(ふしゅ)、 血圧降下、心臓まひなど「突然に襲うさまざまな危険」が待つ。
さらに氷点下五〇度にもなると、一瞬の油断で凍傷にかかり、手 や足を切断しなければならないことも。
「もっと怖いのはブリザード(暴風雪)だ。一夜で雪に閉じ込め られてしまう」
雪崩、クレバスへの転落、がけ崩れ…。一つの部隊全員が雪崩に のみ込まれてしまったことも一再ではない。 「死者の十人に八人は、病気か事故によるもの。インド軍の砲火 によって命を落とすのはごくわずかにすぎない」と、カーンさんも 認めていた。
高山病や事故に対応するため、標高約四千五百メートルに「高高度訓練 学校」がある、という。クレバスへの転落防止や凍傷への備えか ら、ロケット砲や大砲の操作、維持管理までこの学校で身につける のである。
「もう、そこの土石に覆われた下は氷河ですよ」。少し前方に見 えてきた白い氷河。それに目を奪われていると、アーメドさんは左 側を指さして言った。違った鉱物を多く含んでいるため、表面は暗 褐色だ。雪に閉ざされる冬場は、氷河を歩いて越える。 「この氷河だっていつクレバスのきばをむくか分からないのだか ら…」
死の危険を語るアーメドさん。でも、彼は決して死を恐れている わけではなかった。他の多くの兵士たち同様、彼もまたイスラムの 神アラーに身をささげる「ムジャヒディン(聖戦戦士)」なのだ。 二時間近くかかってクンダス氷河に到達した。道路はさらに十数 キロ続く。後は四、五時間の登山でようやく最初の駐屯地(約四千三 百メートル)にたどり着く。
「今度は二カ月ぐらい滞在するつもりで来てください。砲撃が続 くシアチン氷河まで案内しますよ」。アーメドさんはこう言うと、 まるで仲間の戦士にでも接するように、こちらの手を固く握り締め た。