パキスタン軍が運営する中学校で空手の練習をするバ ルチスタンの少年たち。「将来は軍人になりたい」と 言う子も (デンサム村) |
太陽が中天に昇り、谷間のデンサム村ベースキャンプに日差しが 降り注ぐ昼下がり。パキスタン軍将校のシカンダーさん(25)の案内 で、軍が運営する村の中学校視察に出掛けた。
地域奉仕の一環で、一九九二年から取り組んでいる、という。生 徒数三百五十人。先生十三人のうち、八人は若い将校が務める。厳 しい高峰の戦場から下山した彼らが、交代で先生役を果たすという わけだ。
校庭の片隅では「イチ、ニ、サン…」と日本語で声を掛けながら 空手の授業まで行われていた。
軍隊が駐留することで道路ができ、電気も村に届いた。農作業の ための労働力でしかなかった村の子どもたちが教育を受ける。山や 渓谷で世界から隔絶されていた村人たちが、紛争のおかげで外の世 界とつながる。
中印戦争(62年)後のインド軍に対するラダック地方の仏教徒が そうであったように、バルチスタン住民のパキスタン軍への信頼 も、また、厚い。
学校見学後、デンサム村が一望できる高台へとジープを走らせ る。途中、シカンダーさんに「なぜ、シアチン勤務を志願したの か」と尋ねた。すると即座に「宗教の力」との答えが返ってきた。
「どこで任務に就こうが、われわれが仕えるのはイスラムの神、 アラーに対してだ。兵士も将校も厳しい環境で働くことをハッピー だと感じている」
穏やかな口調。二十五歳の青年とは思えない落ち着き。途中で車 を止め、話し込んだ。
「この戦争はわが領土を守るジハード(聖戦)なのだ。敵はシア チンへ許可もなしに侵攻して来た。だが、われわれがその侵攻を阻 止したのだ」
一年間で既に五回、標高六千五百メートル付近に二―四週間ずつ駐屯、 インド軍と砲火を交えた、という。同じ厳しい環境で戦うインド兵 を「勇敢な兵士」と認める。しかし、パキスタン兵にはない「大義 がある」とも。
「戦友の犠牲をどう受け止めているのですか?」
「全能の神アラーのために死ぬ者は、来世で報われる。戦死は名 誉なことだ」
「でも、あなたが戦死すれば、悲しむ家族や友達がいるでしょう …」
「肉体が消えれば、しばらくは悲しむかもしれない。でも、彼ら はアラーのために死んだ息子の死を受け入れ、誇りに思うだろう。 人々は私の死によって家族を賞賛する」
「しかし、あなたには四十年、五十年と人生がある。どうしてそ の人生を大事に生きようとしないのか」
話し込むうちに、こちらの方がつい力んでしまう。しかし、シカ ンダーさんは「イン・シャーラー(神の意のままに)」の言葉を何 度も会話に挟みながら、表情を変えずに続けた。
「人はいつか死ぬ。アラーのために死ぬことは、再び生きること だ。憶病にではなく、ライオンのように、山のように生きる。名誉 のために。それがパキスタン兵のジハード精神だ…」
インド側管理のスリナガルに到着した翌朝、湖畔のホテルでイン ド兵たちがヒンズー宗教歌を取りつかれたように詠唱していた。雰 囲気が最高に高揚した最後に「インドは一つ、インドは偉大だ」と 叫んで終わった。
戦争遂行に互いに宗教が動員される。目前にいるこのハンサムな 青年は、イスラム教の聖典「コーラン」が説く殉教の精神、「死の 哲学」とでも言うべきものを完ぺきなまでに備えていた。
「命令があれば、また最前線へ行きますよ」。彼はそう言うと、 キャンプへ向け車を走らせた。