耐寒装備で登山訓練するパキスタン兵。彼らは間もなく
最前線へ向かう (デンサム村ベースキャンプ) |
「ワン、ツー、スリー、フォー…」
午前八時前。標高五千メートル余の岩山が両側にそそり立つデンサム村 ベースキャンプに、百二十人の兵士たちの掛け声がこだまする。氷 点下二度。身を切る寒さの中、イスラム教の神「アラー」への祈り をささげた兵士たちは、ジョギング、体操と朝食前の訓練メニュー をこなす。
朝食後、近く最前線へ再び向かう兵士たちが山登りの訓練を始め た。氷点下五〇度でも身を守ってくれるというアノラック、毛糸の 帽子、厚い登山靴、サングラスにノーズ・プロテクター…。
登り口まで約三百メートル。兵士たちに歩調を合わせようとすると息切 れがして苦しい。ゆっくりと自分のペースで歩むしかない。しかし 彼らは、険しい岩山でさえ、まるで平地を歩くようにひょいひょい と登って行った。
「シアチンにやって来る兵士はほとんどが志願兵。心も体も過酷 な戦場で戦う準備ができている」。登山訓練に同行後、地下の司令 室で会ったファヒム・カーン司令官(45)は、部下をたたえるように 言った。
彼の配下には六千人近い兵士がいる。そのうち、ベースキャンプ にいるのは、十数人の将校を含め百三十人余。残りは、標高五千メートル 以上の最前線駐屯地でインド軍と対峙(じ)する。
「シアチン氷河付近は、パキスタンにとって最重要防衛ライン だ」。軍歴二十七年の古参兵は力を込めた。
標高六千―八千メートルの山々が連なり、氷河に閉ざされたこの地域 は、もともとどちらの兵士も駐留することはなかった。このため第 一次印パ戦争後の一九四九年に合意した停戦ライン(現支配ライ ン)では、「NJ9842」(地図参照)という地図上のポイント からカラコラム峠までは、はっきりと線引きされていなかった。
パキスタン軍が、シアチン氷河でのインド軍の駐留を確認したの は八三年八月。パキスタン政府は「この地域は四七年の分離独立以 後、パキスタンが管理するバルチスタン地方に属する」と、インド 軍の撤退を要求した。
これに対しインド政府は「シアチン氷河とその一帯は、インド側 が管理するラダック地方北西部の山脈の一部である」と応酬。撤退 せぬインド軍に対し、八四年春、パキスタン軍が攻撃を加え、世界 で最も高い山岳での戦闘が始まった。
「インド軍がシアチンに駐留する理由は何でしょうか?」
「この雄大な自然を観光資源にしたいということだろう。シアチ ンからK2へ至る八千メートル級の山々は、世界のアルピニストのあこが れでもあるから…」
カーンさんは、壁に掲げたシアチン付近の詳細地図を前に説明を 続けた。「世界の多くの地図は、停戦ラインをNJ9842とカラ コラム峠を結ぶ直線で引いている。シアチンがパキスタンに含まれ るのは、一目りょう然だ」
米国の著名な雑誌「ナショナル・ジオグラフィ」発行の地図をは じめ、欧米の主要地図は、カーンさんの指摘通りカラコラム峠に向 かって停戦ラインが引かれていた。
停戦ラインの交渉にかかわったかつての国連関係者や、インドの 学者の中にもこの考えを支持する人たちがいる。 「敵がわが領土を侵略している以上、どんな犠牲を払ってもスト ップさせねばならないのだ」
カーンさんが指揮する宣戦布告無き印パの戦いは、十四年目に入 った。