不毛の岩山 孤絶感漂う/前線司令部へ


地下の食堂で夕食を取るパキスタン軍将校。 私服に着替えてもどこか緊張感が漂う
(デンサム村ベースキャンプ)

 パキスタン軍のアブドラ・アミッドさん(26)運転の日本製ジープ は、スカルズー市からインダス川に沿って東へと走った。

 三メートルほどの道幅に舗装道路が続く。左下にインダス川の清流が、 時を止めたように流れる。出発から一時間半、未舗装道路にさしか かる。やがてインダス川を横切り、デンサム村の前線司令部に通じ る支流に沿って奥へと進んだ。

 残り五十キロ足らずのハプルー村でチャイ(紅茶)を取って一休 み。青空に雲が広がり始めた正面彼方に、世界第二の高峰「K2」 (八、六一一メートル)が、偉容を見せる。間もなく、五―六千メートルの岩山 が、すべてを拒絶するように目前に立ちはだかる。これ以上奥に村 などあるのだろうか…。

 第二次世界大戦中、旧日本軍は多くの犠牲を払いタイ―ミャンマ ー間に泰緬(たいめん)鉄道を建設した。数年前、その取材のため にミャンマー国境に近いタイの奥地に入った。

 緑の木々に覆われた深いジャングル。その自然を目の当たりにし ながら、なぜ日本軍はこんな辺境にまでやって来て戦う必要があっ たのか、と言い知れぬ思いに駆られた。

 しかしここ、氷河に閉ざされた世界の屋根に向かうバルチスタン 地方の奥地。その孤絶感は、あの時体験したタイのジャングルの比 ではない。

 不毛の岩山。その峰々で「国家の威信」をかけ印パの戦闘が続 く、という。「不条理」。第三者には、そんな言葉でしか理解でき ない戦いなのかもしれない…。

 すっかり日が暮れる。前方の道さえ定かでない。横揺れ、立て揺 れに腰や頭を何度も打つ。五十路に近づいた体には、きついドライ ブだ。しかしアブドラさんは、疲れも見せず奥へ奥へと車を走らせ る。午後六時、標高約三千メートルのデンサム村の基地にようやく着い た。

 「遅かったですね。随分心配しました」。迎えてくれた将校のフ ァイサルさん(24)が、懐中電灯で足元を照らしながら、将校宿舎そ ばのゲストルームへ案内してくれる。

 ツインのベッドにソファ。机といす。電気スタンドもある。奥に はトイレや洗面所も。テントで野営するものとばかり思っていた私 には、すぎたる施設だ。

 「十年前に来ておればテントだったがね」。あいさつにやって来 た副司令官のグーラム・グーマンさん(32)が、笑みを浮かべて言っ た。

 彼のこの地での初勤務は、シアチン氷河周辺で戦闘が始まった二 年後の八六年。その時に比べ、ベースキャンプの生活環境は三〇〇 %よくなっている、という。

 午後八時半から将校たちの夕食が始まる。三十分前には地下にあ る食堂へ。長テーブルが置かれた隣の部屋には、新しいソファが並 び、大型テレビが座る。食事前、私服姿で集まった十数人の将校 は、英国BBC放送のニュースを見るのが日課である。

 この夜は、ファルーク・レガリ大統領によるベナジル・ブット首 相解任の関連ニュースが長時間流れた。

 「政局はこれからどうなるんでしょう…」

 「よく分からない。でも、われわれの任務には何の関係もない 」。屈強な体格のグーマンさんは、画面を見詰めたまま言った。

 一見、平和に見える前線司令部での生活。しかし、ここでは二十 四時間「警戒態勢」が敷かれている。司令部は、十一月初旬でも氷 点下三〇度以下という高度五千メートル以上で戦う最前線の兵士たちと、 そのままつながっていた。


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