「ブラック・デー」の集会に参加したイスラム住民。
高校生ら若者の姿が目立った (ムザファラバート市) |
ジャムー・カシミール地方を分割する印パ暫定国境の前線の町チ ャコーティからアザッド(自由)カシミールの首都ムザファラバー ドに戻った翌日、パキスタン軍の広報担当者と別れ、首都での取材 を続けた。
十月二十七日。この日は、カシミールの多くのイスラム教徒が 「ブラック・デー」として記憶に刻む。
一九四七年のこの日、当時のジャムー・カシールの支配者であ ったマハラジャ(大王)がインド政府に軍の派遣を要請、インド軍 がこの地に足を踏み入れる最初の日となった。「アザッド・カシミ ール独立宣言」三日後のことである。
ムザファラバードでは、インドのカシミール管理に反対し、四八 年から毎年、地元政府主催でこの日に抗議集会を開いている。
山に挟まれた細長い首都の街並み。午前十時過ぎ、中心部へ足を 運ぶと、既に二千人近い人たちが集まっていた。幅約二十メートルの幹線 道路を百五十メートル余り遮断。中央の政府建物二階ベランダを演壇に仕 立て、集会が始まろうとしていた。
「インド軍はカシミールから去れ」とウルズー語の横断幕を手に する者。黒い制服姿の高校生も目立つ。
「あの人たちは、インド側のカシミール盆地から、こちら側へ逃 れて来たイスラム難民です」。こぶしを突き上げながらトラックで やって来た十数人を指して、地元の通訳が言った。
イスラム教徒の武装ゲリラを恐れ、インド側管理のカシミール盆 地から十数万人ものヒンズー教徒が故郷を去った。しかし逆に、イ ンド軍を恐れ、暫定国境を越えたイスラム教徒難民も多くいること を教えられる。
「カシミールに自由を!」「インドは国連での住民投票の約束を 守れ!」。高校生の代表が、まるで呪文(じゅもん)のように繰り 返すスローガンの唱和で、集会は始まった。
政党指導者らが次々と演壇に立った。
「インドは半世紀にわたり、カシミール人を武力で押さえつけて 来た」「ジャムー・カシミールの住民投票を国連総会で訴えたベナ ジル・ブット首相(当時)の演説は素晴らしい」
インド非難とパキスタンの首相をたたえる、同じようなトーンの 演説が二時間近く続く。
最後にアザッド・カシミール政府のスルターン・チョホドリー首 相(42)が「カシミールの解放」を誓って、演説を締めくくる。「ウ ォ……」。参加者の喚声が、秋空に響いた。
集会の熱気は、そのまま首相を先頭にしたデモに引き継がれ、一 キロ先の国連監視軍が駐留する司令部へ。道路いっぱいに広がり、ス ローガンを唱えて歩く高校生のグループに声を掛けた。
「どうしてインド人をそんなに信用できないの?」
「インドのヒンズー教徒が、イスラム教徒を差別している」「イ ンド軍は残酷だ。…」
判で押したような答えが返ってくる彼らに「インド人と直接会っ たことは?」と尋ねると、だれ一人いなかった。
パキスタンの国営テレビ放送が、毎日のように流すカシミールで のインド軍の残虐シーン。高校生たちの反応に接しながら、その情 景を思い浮かべた。
二十分足らずで司令部に着いた。チョホドリー首相が、入り口で 出迎えた国連監視軍司令官に「住民投票が実現するようインド政府 に働きかけてほしい」と、国連事務総長あての要請文を手渡した。
「手続きに従って処理します」。司令官はそれだけ言うと、素っ 気なくきびすを返した。