軍需輸送にラバ飼育/最前線の町へ


暫定国境へ至るジェーラム川沿いにある軍のラバ飼育場 。厳しい山岳地帯では、忍耐強いラバが貴重な運搬手段となる (チャコーティ町への途中)

 印パ国境を中心にした一カ月間のインドでの取材に一区切りを付 け、昨年十月、パキスタンに入った。インド側で見た多くの悲劇。 さて、ジャムー・カシミール地方のパキスタン側国境では何が起 き、人々はカシミール問題をどう考えているのだろうか…。最初に 戦闘が続く最前線に向かった。
(田城 明編集委員、写真も)

 パキスタンの首都イスラマバードで借り上げた日本車は、快調に 北に向かって走った。陽気なドライバーの隣には、軍広報所属のザ ヒッド・ムンターズ少佐(42)が乗る。

 「チャコーティの戦線へ出掛けるのは、実は私も初めてなんだ 」。二十年近く戦車部隊に所属し、一年前に広報担当に替わったと いうムンターズさんの声は、心なしか上ずっていた。

 イスラマバード隣接のラワルピンディ市にある軍広報本部を通し 前線取材を申し入れてほぼ二週間。ようやく「OK」の返事。体が 感じる緊張感は、単に危険なヘアピンカーブが続く山道のせいばか りではなかった。

 イスラマバードからアザッド(自由)カシミールの首都ムザファ ラバード市までは百二十キロ。が、途中から未舗装の悪路が続き、日 本車も悪戦苦闘。三時間以上かかり、古い橋を渡ってようやくアザ ッド・カシミールに入った。

 一九四七年十月、ヒンズー教徒のマハラジャ(大王)が支配する ジャムー・カシミールから、いち早く独立を宣言。全体の面積の約 五%を占める現在の大きさは、第一次印パ戦争後の四九年一月、国 連平和維持軍の監視の下で決められた。

 人口約二百五十万人を擁する独立国家の体裁を取る。与党党首が 首相となり、最高裁判所まで構える。しかし、経済的にも政治的に も、パキスタン政府と深いつながりを持ち、暫定国境(支配ライ ン)沿いの治安はパキスタン軍が当たる。

 インド管理下のスリナガル空港到着時と同じように、橋のたもと の小さな事務所で外国人登録を済ませる。

 ここからムザファラバードまで約三十キロ。ジェーラム川沿いに両 側から二千メートル余の山が迫る。どこにも耕地は見当たらない。インド 側管理の広大なカシミール盆地と違い「林業だけがここの産業」と いうムンターズさんの説明もうなずける。

 出発から四時間半後、人口八万人のムザファラバード市街へ。午 後四時を少し回ったばかりだが、陽光はすでに山の背に遮られ、町 には早い夕べが訪れていた。

 「1AK BRIGADE(旅団)」と名の付く将校宿舎。着の 身着のまま、少佐とベッドを並べ、一夜を明かす。翌朝、今度は軍 のジープに乗り換え、南東へと大きくう回するジェーラム川沿いに 細い道を走った。

 「スリナガル183キロ」。出発時に見掛けた道路標識。暫定 国境の前線の町チャコーティまでは、ここから五十八キロである。こ の川をさらに百二十五キロさかのぼれば、ついこの間までインド側取 材で滞在したあのスリナガル市に着く。

 時折通過する小さな村々。そんな村の一つにさしかかった時、馬 市場のような珍しい光景に出合った。山岳地帯の軍事物資輸送に欠 かせぬ、ラバ飼育の軍施設であった。撮影禁止場所も軍人といるお かげで、とがめられることはなかった。

 治安部隊が目立ったインド側と違い、道中のものものしさはな い。しかしチャコーティの町はずれの検問を通過した途端、「ドー ン」という大砲音が響く。緊張が体を貫いた。


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