'97.8/21
九億人を超す世界第二の人口を抱え、経済改革の波に乗って独立五十周年を迎えたインド、ASEAN(東南アジア諸国連合)の中心的役割を担い、急速な発展をとげるタイ、ラモス政権の下、国内の安定へ歩みを進めるフィリピン…。四人のジャーナリストたちの祖国は、いずれもアジアの将来のかぎを握る国々だが、貧困や社会基盤の整備の遅れなどさまざまな課題を抱えている。
流行文化を体験
日本が五十二年間に果たした繁栄は、記者たちの目に、驚異であると同時に自国の明日を考えるモデルとして映ったようだ。インドのプラサド・クリシュナ特派員(29)は、広島市内でカラオケや顔写真シール「プリクラ」、携帯用電子ペット「たまごっち」など流行文化を時間が許す限り体験し、人気歌手グループ「スピード」の顔写真を印刷したTシャツを着て帰国した。
「平和は単に兵器をなくすことだけではなく、一般市民が衣食住とコミュニケーションの手段をもち、日々を楽しめる環境にあって初めて実現する」。隣国パキスタンとの緊張関係のために、貧困層を抱えながらも多大な防衛費を費やす祖国インドを思い、日本の日常生活の中に「平和」を見いだした。
フィリピンのジョン・マナラスタス記者(26)とジョゼフ・タグレカメラマン(26)は、まんが図書館や書店を訪れ、若者の主要な表現手段にまで成熟した「漫画文化」をビデオに収めた。タイのクンチャリー・タンスパポン記者(29)は、広島の記者たちとのインタビューを通じて、家庭と仕事の両立を模索する女性たちの姿や夫婦関係の変化を取材した。
日本の経済的な豊かさを目の当たりにした記者たちに、広島市立大生の一人が懇談の中で「本当の意味の繁栄とは」と質問した。タンスパポン記者は「タイでは経済発展を優先するあまり多くの社会問題が生まれ始めている。家族を大切にすることなど伝統的な価値観を失わないようにしたい」と欧米化ではなく、自国の文化に根差した発展の道を示唆した。
「優しさと友情」
被爆者や若者たちへの取材や、ホームステイ、交流会などで市民たちと接してアジア記者たちが得た日本人の印象は「優しさと友情にあふれた人々」。特に第二次大戦中の侵略について教えられ、「日本人にいい印象をもっていなかった」タイとフィリピンの記者たちの日本人に対するイメージは、百八十度変わった。三人は「人と人との触れ合いの中から平和が紡ぎ出されることを実感する二十五日間だった」と振り返る。
「原爆」に初挑戦
フィリピンの二人が帰国後に制作する番組は反日感情が根強い同国で、原爆について特集する初のドキュメンタリーになるという。マナラスタス記者は「原爆は日本軍の残虐行為に対する報いであるという印象を与えないようにしたい。広島・長崎で起こったことは世界のどこでも起こり得る。戦争がもたらす悲惨を、フィリピン人の視点ではなくグローバルな視点で子供たちに伝えたい」と意気込む。
過去を知ると同時に未来に目を向け、「理解し合うことから生まれる平和」を次代に語り継ぐこと…。アジア記者たちが得たメッセージは、そのままヒロシマ・ナガサキの明日へのメッセージでもある。