ヒロシマの明日へ

アジア記者のメッセージ(上)/「被害と加害」

'97.8/20


視野広げ「不可分」認識

 アジアの若手ジャーナリストたちが、広島・長崎の被爆の実相を中心に日本社会の現状を多角的に取材する第六回「アジア記者招請プロジェクト」(広島国際文化財団主催)が二十五日間の日程を終えた。被爆者や若者らさまざまな背景をもつ市民との対話の中から、インド、タイ、フィリピンの四人のジャーナリストたちがくみ取った思いと、ヒロシマ・ナガサキの未来へのメッセージを紹介する。

(国際部・宰務広美)



 「米国による原爆投下と、日本軍によるアジアでの残虐行為はどちらがより重大だと思うか」。プログラムが終了に近づいた十日、長崎市の爆心地公園を訪れた時、フィリピンのテレビ・ラジオ会社GMAネットワークのジョン・マナラスタス記者(26)が問い掛けてきた。それは、アジア記者たちが、取材の中で何度も繰り返した質問だった。

「日本軍は残虐」
 被爆者の体験を聞いた後、いつも黙り込んでしまう繊細なマナラスタス記者は、「被爆者の苦しみを知った今でも、フィリピンでの日本軍の残虐行為は容易に許されるものではないと思う」と、自分自身の経験を話し始めた。幼いころから日本軍の残虐行為について教えられ、ひっそりと生きる元従軍慰安婦の姿を見てきた。一九九五年に日本政府が慰安婦への補償を民間団体にゆだねた時は「フィリピン人の怒りが再燃した」と話す。

 発言することなくカメラを回し続けた同ジョゼフ・タグレカメラマン(26)は、手記に「(謝罪や補償を通して)過去と和解することなしにどうやって誠実に未来を見すえることができるだろうか」と記した。タイの英字新聞「バンコク・ポスト」のクンチャリー・タンスパポン記者(29)も、広島と長崎の原爆資料館を比較し「広島の加害展示は不十分」と「アジア侵略と原爆投下は、歴史の文脈の中で切り離すことはできない」とした。

核は人間性を抹殺
 一方、インドの英字雑誌「アウトルック」のプラサド・クリシュナ特派員(29)は、被爆者の何人かが、体験を話した後、日本のアジアへの加害責任にふれ、謝罪するのが「意外だった」と言う。核問題を専門に報道してきた立場から「アジア諸国での残虐行為と原爆投下は全く異質な問題である。核兵器は人間性を抹殺する」と主張する。

 それよりもクリシュナ特派員が注視するのは、日米安全保障条約の存在である。「日本が米国の核の傘の下にある限り、核廃絶の訴えは説得力をもたない」。さらに、米国の臨界前核実験に対して広島市と長崎市が抗議した一方、日本政府が抗議しなかったことや、広島市の平和宣言の中の「核の傘に頼らぬ平和構築」に対して橋本龍太郎首相が否定的な考えを示したことを上げ、「ヒロシマ・ナガサキの声は日本の声なのか」との疑問を投げ掛けた。

新たな関係探る
 マナラスタス記者は取材を通じて「戦争においてどちらかが完全な加害者で、どちらかが完全な被害者であるということはありえない」と、戦争をより広い視野でとらえて答えを見いだした。

 開かれた議論の中で過去と向き合い、アジアに対しては「被害と加害」、米国に対しては「安保」という枠組みを超えた、新たな関係を創造する道を歩み出して初めてヒロシマ・ナガサキのメッセージは世界に届くのかもしれない。


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