▽広島の国際支援組織 HICARE 設立15周年
人材の育成に成果 世界規模の連携 不可欠
旧ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原発事故を機に被爆地広島の県と市、医療・研究機関が連携して設立した「放射線被曝(ひばく)者医療国際協力推進協議会」(HICARE)が今月、十五周年を迎えた。被爆者医療の経験や調査研究を生かした人材育成で着実に成果を上げている。今後は、ヒロシマで学んだ研修生同士のネットワーク構築など、世界の核被災地との一層の連携強化が求められる。(石川昌義)
活動の大きな柱である医師・研究者の研修受け入れは、十四カ国二百六人(三月末現在)に達した。国際協力機構(JICA)など、他機関の研修に組み込まれるケースを含めると千五十九人に上り、原発や核実験など世界規模で広がる核被害の実情と、ヒロシマへの期待の強さを反映している。
独自に受け入れた研修生を国別で見ると、ロシアがトップで五十九人。カザフスタン三十一人、ベラルーシ二十五人、ウクライナ十人など、チェルノブイリ原発事故やセミパラチンスク(カザフスタン)の核実験などで被災した旧ソ連圏が半数を超える。広島や長崎の被爆者が多い、韓国やブラジル、米国も目立つ。
研修生は一―三カ月、広島大原爆放射線医科学研究所(原医研)や放射線影響研究所(放影研)、広島赤十字・原爆病院などHICARE加盟の六機関で最先端の治療法や機器の操作、疫学知識など、被爆地が蓄積した技術やノウハウを学び、母国で核被害者治療などに役立てている。
広島からの医師・研究者派遣にも力を入れてきた。旧ソ連圏を中心に延べ百六十六人。国内でも、一九九九年に茨城県東海村で起きた臨界事故では、九人を現地派遣した。さらに、研究者向けの専門書出版や、市民向け講演会など放射線被害に関する医療情報発信にも取り組んでいる。
昨年からは、帰国後の研修生フォローに乗りだした。カザフスタンに医師と事務局員を派遣し、研修生がいる大学病院などを巡り、医療面での悩みやヒロシマへの要望を吸い上げた。研修生の今後の支援や、ネットワークづくりに生かす。
原発立地が中国などアジアに広がり、万一の事故を想定した緊急被曝医療態勢の構築が各地で急務になる中、新たな役割も生じてきた。医療・研究機関の連携の先行例としてHICAREの取り組みは注目され、柳田実郎代表幹事は「海外での医療ネットワークづくりに助言もしたい」と積極的な姿勢を見せる。
HICAREは一九九一年四月、原医研や放影研、県と市の医師会など八機関と県、市が設立。本年度の予算は約二千三百万円で、県と市が折半している。財政難のため、約七千三百万円だったピーク時(九五年度)の三分の一に落ち込んでいる。
▽ヒロシマ 特別な存在 ベラルーシ赤十字前総裁 ロマノフスキー氏に聞く 技術支援受け検診充実
HICAREに代表されるように、医療支援や研修医受け入れなどを通じたヒロシマの役割は大きい。チェルノブイリ原発事故後の一九九一年から昨年七月まで、ベラルーシ赤十字総裁を務めたアントン・ロマノフスキー氏(66)に聞いた。(ベラルーシ=滝川裕樹、写真も)
原発事故後、日本、特に広島の専門家や医師、市民団体がこれだけ長い間、熱心に取り組んでくれたのは、原爆の惨禍を経験し、放射能汚染の問題に対する意識が高いからだろう。長年の支援に本当に感謝している。
被爆国の蓄積した技術やノウハウは非常に有意義だった。特に甲状腺の検診で精度の高い技術を学んだり、最新の機器の贈呈を受けたりしたのは重要な意味がある。
HICAREなどを通じて、現場の医師を広島で学ばせてもらった成果も大きい。この十年で検診技術は飛躍的に向上、誤診も大幅に減った。
私は事故当時、汚染が深刻なゴメリ州保健局長として働いていた。事故直後、同僚が放射線測定器で数値を測り、大変な事態が起きたことを知った。しかし、かん口令がしかれ、何も言えなかった。当時は完全な秘密社会で事故の真実を人びとに伝えられなかった。
(事故発生直後の)五月一日のメーデーには、子どもたちは野外でサッカーをしていた。もう少し早く事実を伝えられていたら、被害は軽減できただろう。いまも後悔している。同じ過ちを繰り返してはいけない。
(広島市の武市宣雄医師らが協力する)九州の市民団体によるブレスト州の検診は着実に成果を上げている。(医療も中央集権の国で)地方の医療機関で充実した検診が実現できたのは驚きだ。
わが国では、ソ連崩壊の混乱も重なり、人びとは医師を信頼していなかった。逆に被爆国から来る医師の信頼は厚い。熱心な仕事ぶりに、わが国の医師も学んだ。ヒロシマのある日本は、はるか遠くに離れているが、多くの被災者にとっては特別な存在だろう。(談)
【写真説明】「技術やノウハウを蓄積した被爆地広島で医師を学ばせてもらった意義は大きい」と話すロマノフスキー前総裁
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