チェルノブイリ原発から約五十キロ離れた、ベラルーシ南部にある汚染地の街、ブラーギンを訪れた時のことだ。
行政府の幹部の執務室に入ると、背の高い若い女性が立っていた。秘書だろうか。そう思う間もなく、おもちゃのようなカメラで何枚か写真を撮られた。そして無言のまま退室。時間にして一分足らずの出来事だった。
「地元の新聞記者だ。広島から記者が来るので、取材するよう呼んだ。そのうち、あなたの記事が出ますよ」。幹部は、そう説明した。今のが取材だったのかと、ぼうぜんとしてしまう。
どんな記事だったのだろう。いまでも内容が知りたくて、たまらない。
▽大統領の映像
原発事故の取材で、ベラルーシとウクライナに滞在して二カ月になる。この間、いくつかの地元メディアから取材を申し込まれた。同じ放射線の被害を受けたヒロシマの記者への関心は高い。
ただ、強権的政治体制のベラルーシでは、主要メディアは政権が統制下に置いている。独立系新聞社の閉鎖も伝えられる。三月十九日の大統領選直前、国営放送のトップニュースには、いつも現職のルカシェンコが登場していた。政府の金準備高が増加したとのニュースでは、金塊に腰を掛けて高笑いする大統領の映像が流れていた。絵に描いたような御用メディアだ。
そんな息苦しい社会で、報道について考えさせられる出会いがあった。
三月半ば、ポーランド国境沿いの街ブレスト市の新聞社「イブニング・ブレスト」を訪ねる機会があった。創刊十五年。記者は合わせて十五人の小さな新聞社だ。それでも、発行部数は地区で最多の約三万部だという。
ウラジミール・シャパロ編集長が、ベラルーシ社会をどう思うか、熱心に聞いてくる。御用メディアにうんざりしていたので、「治安がいい」など無難な話で対応した。
そのうち、編集長が、こっちの警戒感を見透かして、怒りだした。この新聞社は編集部員が株式の50%を保有し、独立が保たれていることや、政権批判の記事も載せていることなどを説明する。「どんな時代でも、新聞は中身が大事だ。そして、権力を褒めてはいけない」と繰り返した。
▽記者らと議論
逆に、日本の状況について聞かれた。若者の新聞離れなどを紹介する。日本では、新興勢力のインターネットを新聞にどう取り込めるのかが問われているが、同僚同士の議論の輪に加われない自分のアナクロ(時代錯誤)ぶりを自覚してもいた。
そんな事情もあって、ベラルーシの新聞人との会話は弾んだ。他の記者も加わって互いに温めている記事の企画など、時間を忘れて楽しく議論した。
ホテルに帰って、イブニング・ブレストの紙面に目を通した。大統領選の各候補者の政策を同じ扱いで紹介していた。別のページでは、現政権の支持と批判の二つの記事を掲載している。通訳によると、批判記事にはルカシェンコなどの固有名詞はなく、内容も穏当なものらしい。それでも、強権的な政権が目を光らせる社会にあって、中立の紙面をつくるのは大変なのだろう。
独裁者がいない国なのに、権力に向かい合っているのか―。パソコンのキーボードをたたきながら、編集長の言葉の重みを思い出している。<敬称略>(滝川裕樹、写真も)
「圧政国家を歩く」はおわります
【写真説明】行政幹部の執務室や一部の商店に大統領の肖像画が飾られているのは、おなじみの光景だ(ゴメリ市のホテルの売店)
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