通りをうろつく野良犬の遠ぼえで目が覚めた。顔を洗いに屋外に出て、井戸のハンドルを回してバケツで水をくみ上げる。口に含むと、やや金属くさい味がした。
チェルノブイリ原発から五十キロ北、放射能汚染で住民の大半が疎開したベラルーシ南部のグバレービッチ村。ナージャ(72)の家に泊まり込んで、数日が過ぎていた。
「やっと起きたのかい」。ナージャの大声が寝ぼけた頭に響く。一緒に暮らしている孫のセルゲイ(15)は、すでに隣村の学校へ登校していた。
「今朝は、ジャガイモをサーラ(豚の脂身)でいためたよ」。ナージャは朝食の準備に忙しい。
食料のほとんどは、この村で自給している。夏に収穫した野菜は、酢漬けにして大量に保存してある。母屋のそばの倉庫を見せてもらうと、地下室には、あふれんばかりのジャガイモがあった。
鶏や豚も飼っている。ウサギ小屋には白地に灰色のぶちがかわいい子ウサギがいた。ペットかと聞くと、「うまいよ。食べたいか」。今にもさばいてしまいそうだったので、あわてて断った。
その夜、近くに住むカザフスタン人の少女(16)が、ナージャを訪ねてきた。家で飼う牛から搾ったミルクを売りに来たのだ。言い値は三リットルで二千五百ルーブノン(約百四十円)だったが、ナージャは五百ルーブノン多く手渡していた。
原発事故で大地に降った放射性物質は、野菜の根やキノコに吸い上げられ蓄積する。汚染された牧草を食べる乳牛のミルクもよくないとされる。
▽「人体実験場」
食べ物を通じて被曝(ひばく)することを「内部被曝」という。日本で専門家に話を聞き、短期間の滞在ならリスクは小さくなるだろうと判断した。しかし、放射線量が小さいとは言え、長期間、内部被曝が続けば、どんな影響が出るのか、よく分かっていない。原爆が投下された広島や長崎とは被曝の状況が大きく異なり、データがないからだ。
ベラルーシで会った研究者の多くが、未知の危険性を指摘した。「広大な汚染地域に、今なおたくさんの人が暮らしている。人類が経験したことのない人体実験場になっている」。放射線研究所のウラジミール・アゲーツ所長は、静かにそう話す。
事故後二十年になる。だが、主な放射性物質であるセシウム137の半減期(放射線の強さが半分になるまでの期間)は約三十年とされる。長崎投下型原爆に使われたプルトニウム239になると二万四千年に及ぶ。
▽検査は届かず
国も汚染食品の排除に力を入れている。汚染地域の森の産物は採取禁止。原発から五十キロ程度のホイニキ地区では、流通する全食品を検査している。しかし、避難勧告が今も出されていて人が住んでいないはずのこの村では、そうはいかない。
村に泊まり込むことを聞いた関係者は忠告した。「あそこで採れる物は食べない方がいい」。無理な注文だ。食料を持ち込むのでは、現地の暮らしぶりを知ることはできない。
汚染地域の取材には、役人が同行する場合が多く、やりとりに口を挟んだり、住民が本音を話しづらかったりして、迷惑極まりない。村に泊まり込んでの取材は、こうした余計な干渉を遠ざけてくれる。
翌日の明け方、トイレに何度も駆け込んだ。もちろん、放射能汚染が原因ではない。殺菌していないミルクに腹を下したのだろう。満天の星明かりが「豊かな」村を照らしていた。<敬称略>(滝川裕樹、写真も)
【写真説明】夏に収穫して、倉庫の地下室に貯蔵された大量のじゃがいもを見せるセルゲイ
|