白いひげを蓄えたウラジミール・シブダ(46)。いつも診療室の中を動き回っている。話しかけると、首をちょこんと突き出し、とうとうとしゃべり始める。陽気で、とてもまじめな男だ。
ベラルーシ西部のブレスト市にある地域内分泌センターで、移動検診団の代表を務める。検診団はブレスト州内の村を回って、チェルノブイリ原発事故の被曝(ひばく)者の甲状腺検診を続けている。
月曜から金曜まで毎週五日間は各地に出向き、週末だけ自宅に戻る。もう九年間もハードな勤務を続けてきた。「当初、女房は寂しくて泣いてばかりいた。いまは出張から帰って顔を見飽きたころに再び出ていくので、出張するのはいいらしい」と苦笑いする。
国際赤十字によるブレスト州での移動検診は広島市の開業医、武市宣雄(61)らの現地検診と並行して始まった。メンバーは運転手を含め七人。村の病院や民家、学校に寝泊まりすることも多い。
触診やエコーによる超音波検査で、がんの疑いがある患者を探し出す。後日、センターで甲状腺から細胞を採り、より精度の高い検診を行う。
ウラジミールは一九九九年と二〇〇五年、広島県や広島市でつくる放射線被曝者医療国際協力推進協議会(HICARE)などの受け入れで広島を訪れ、被爆者医療を学んだ。
昨年十月の広島での研修中、会ったことを思い出した。旧ソ連の医師バッジをくれた。権威的な旧ソ連時代を象徴するかのように、ものものしい勲章のようだった。
▽手術直前に酒
原発事故後、ベラルーシやウクライナの被災現場を訪れた武市や医療通訳の山田英雄(58)=広島市中区=は医療技術の遅れや、低いモラルに頭を痛めた。手術直前に医師からウオツカを勧められたこともある。現地では「疑わしきは切るべし」との考えも根強い。誤診も多く、がんではないのに、甲状腺を切除する例も後を絶たなかった。
何とか、医療技術を底上げしなければ。武市らは現地で積極的に関係者と交わり、講演会も開いた。ウラジミールは最も熱心に学んだ一人だ。
内分泌センターからは四人が広島を研修に訪れた。当初は年一、二回訪れてくれる武市らに精度の高い検診を頼っていたが、広島での研修を経て二〇〇一年からは自前でできるようになった。いまは、広島で学んだ技術を地元の医師に伝える段階にまでレベルアップした。
▽自立こそ目標
診察室でいつも武市やウラジミールを見つめている背の高い男がいる。バレリーと名乗る三十一歳の男は、小児科医だという。甲状腺検診の研修でセンターに来ている。
広島へ行ってみたいと思うか、と聞いた。「当たり前だ」。当然のことを聞くなと言わんばかりの不機嫌な顔を見せる。
「患者さんが、ここはいい病院だと言う。うれしいね」。三日間の検診を終えた武市が子どものように喜ぶ。その姿を見て、みんなもうれしがる。
ただ、ここでは、もう武市らの出番はなくなっているのかもしれない。現地で自立できる医療体制こそ求められている。それでいいのだと武市は思う。
ブレストを去る前日、バレリーが、ブレストの自然を撮った写真をくれた。「帰国して広島のみんなに見せてほしい」。広島でブレストをよく知る人はまずいないだろう。しかし、チェルノブイリの被災者で、広島を知らない人はほとんどいない。<敬称略>(滝川裕樹、写真も)
「ヒロシマの息吹」はおわります
【写真説明】ブレスト州を回り、甲状腺を検診する移動検診団のウラジミール(左から2人目)とスタッフ
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