恐怖の放射線

開腹したら血で真っ赤
感覚まひし怖くなかった
 


 入市被爆者で医師の横路謙次郎さん(78)は、
医学生の播磨綾子さん(21)と郷田聡さん(22)を広島逓信病院(広島市中区)へ誘った。
かつて横路さんが被爆者を治療し、遺体を解剖した場所だ。



 -横路
 昭和十五(一九四〇)年に旧制広島一中(中区、現国泰寺高)に入学した。十六年ごろから学徒動員が盛んになって、ほとんど勉強せんようになった。今の広島大医学部(南区)の所に陸軍兵器(補給)廠(しょう)ちゅうのがあって、わしらはその近くの被服支廠で兵隊が履く靴を作ってたわけだ。

 -郷田
 今も残っています。

 兵器補給廠の一部は現在、広島大医学部医学資料館として現存する。

 -横路
 歴史的建物だ。十九年からは呉海軍工廠(呉市)で、人間魚雷用のねじを作った。

 -播磨
 へえ。

 -横路
 (翌年の)六月二十二日だったかな。朝からB29の編隊が工廠を爆撃するわけよ。わしはサボり癖があってな。そのとき地下壕(ごう)で寝よった。空襲は昼前まで続いたかな。衝撃で入り口が崩れた壕もあった。中の声がだんだんせんようになって。(外から)掘ったが、だめだった。(中の遺体は)みな手が真っ赤。(必死で)掘ったんじゃろうなあ。

 横路さんは七月末に動員を解かれ、広島県立医学専門学校(現広島大医学部)に入学。八月五日に広島市を離れ、芸備線甲立駅(現安芸高田市)近くの寺に疎開した。

 -横路
 街が機能せんぐらいやられたと聞いた。九日に芸備線で矢賀(東区)へ出て、広島駅まで歩いた。建物が何にもなく、宇品(南区)まで見えたよ。二十日ごろから逓信病院で手伝うようになった。

 -郷田
 どんな手伝いをしたんですか。

 -横路
 何も知らんからな。まずは血液検査。外傷はほとんどないのに疲れ切った顔の人がいて、調べたら白血球がほとんどない。通常の十―二十分の一くらいしかないんだ。

 -播磨
 普通の爆弾じゃないと。

 -横路
 そんなこと思わんよ。原爆なんて知らんけえ。広島赤十字病院(現広島赤十字・原爆病院)のエックス線フィルムが放射線で感光していたことが分かるまでは、偉い病理学者でさえ知らなかったんだから。

 -郷田
 病院は患者でいっぱいでしたか。

 -横路
 病院なんて(呼べる状況では)ない。みな焼け落ちたからな。逓信病院の中庭にテントを張り、わしも手伝わされた。壁はなく、完全なオープンスペース。ゆっくり診察するなんて無理。薬なんかないしな。教授はテントの下に寝台を置いて、遺体を解剖していた。

 人手不足のため、やがて横路さんもメスを握る。入学したてで医学の知識はほとんどなかった。

 -横路
 人の体を切るのは怖くなかった。死に対する感覚が戦争でまひしていた。腹を開いたら、血で真っ赤だったのを覚えとる。グレイという放射線量の単位があって、五―三グレイで骨髄の造血細胞がやられる。三―六週間のうちにバタバタ亡くなり、遺体を焼く火を毎晩見た。大学を卒業した二十七年ごろ、(原爆の)後障害の白血病患者数がピークになった。

 広島逓信病院での体験は、後に横路さんが核戦争防止国際医師会議(IPPNW)にかかわるきっかけになった。

 -播磨
 先生の専門分野は。

 -横路
 放射線発がん。

 -播磨
 放射線によって、どういったメカニズムでがんができていくか―ということですか。

 -横路
 そう。核戦争となったら、その結末たるや悲惨なものだからね。(だから)IPPNWは、核の被害を予防している。

 -播磨
 人体への影響について科学的なデータを出し、それを訴えることで核戦争を防ぐ考えですね。

 -横路
 そう。原爆ちゅうのは、被爆者への身体的影響と遺伝的影響が考えられる。被爆者の子(被爆二世)と非被爆者の子で、今のところ遺伝に有意差はない。

 -播磨
 でも、自分が被爆者であることを隠そうとした人もいる。

 -横路
 「遺伝する」とうわさされてね。だが、遺伝子への影響は今でもほとんど分かっていない。DNA(デオキシリボ核酸)はどうなっているか、タンパク質や血清なんかも調べる必要がある。生存している被爆者が受けた放射線量は少量。平均〇・三グレイぐらいと言われている。

 -郷田
 たくさん受けた人は、もう亡くなっているんですね。

 横路さんは、放射線影響研究所(放影研、南区)の前身である米原爆傷害調査委員会(ABCC)の調査について語り始めた。

 -横路
 (被爆者への)調査が始まったのは一九五〇年以降。その前の五年間で、白血病で亡くなった人もいる。(放射線への)感受性の高い人が死んだ可能性だってある。

 -郷田
 五十年前に亡くなった人と、今生きている人のDNAを比べる必要も出てきますね。

 -横路
 しかし、少々の数では足りない。千の単位で要るからなあ。

 -播磨
 爆心地に近いほど受ける放射線量は多いのですね。

 -横路
 (初期放射線は)爆心地から二キロ離れたらほとんどない。二・五キロでゼロだな。でも放射線には、生物への影響が非常に強い中性子線やガンマ線が含まれてるんだ。

 -播磨
 そのガンマ線などは、例えば後から広島に入ってきた人(入市被爆者)にも影響するのですか。

 -横路
 理論上はあり得る。外国の研究者の中には、「まだ広島に人が住んでいるのか」という人もいる。

 再びあの日の話題に。

 -郷田
 僕の祖父は昭和二十年当時、岩国で医者をしていました。原爆が落ちた翌日に船で宇品港に上がり、八日から広島の街に入ったらしい。その時医者がどんなことをしたのか知りたい。放射線の影響で傷ついた体は治しようがなかったんじゃないかって。

 -横路
 よそから医者がたくさん応援に来てくれたのは覚えとる。びっくりしただろうなあ。

 -郷田
 しかも祖父は眼科。

 -横路
 どうしようもなかったろうなあ。広島の医者は原爆で死んで、ほとんどおらんかった。焼夷(しょうい)弾でやられたときのために疎開を禁じられとったんよ。生き残っても、薬とかほとんど駄目になって、治療もままならんかったろう。東海村臨界事故(一九九九年)でも二人が死んだじゃろ。放射線障害については、あのころと同じことが現在も続いとる。対処のしようがない、ということ。

郷田さんの祖父は一九九四年に八十四歳で亡くなった。当時の体験を直接聞いたことはないという。

 -播磨
 私は昨年、北京であったIPPNWの大会で、学生の会議に参加しました。広島と長崎の原爆被害について説明し、佐々木禎子さんのエピソードを伝え、みんなに鶴を折ってもらった。

 -横路 そうか。

 -播磨
 反響は良かったけど、原爆の被害を伝え切れていない気がした。例えば(爆心地から)何キロ離れたら爆風が何メートルとか、白血病患者の数字を示しても、会場は実感できていないようだった。どうしたら伝えられますか。

 -横路
 相手はどこの学生や。

 -播磨
 米国、ネパール、カンボジア…。ヒロシマをよく知らない学生たちでした。私自身、実感がわかないのに…。

 -横路
 原爆は遭ってないと分からんと思うよ。

 -播磨
 じゃあ、どうすれば。

 -横路
 言葉だけでは難しい。だが、写真や映像が加われば説得力を増す。声高に言わずとも、被害を効果的に説明できる。そのうえで、放射線が人体に及ぼす影響とか科学的な根拠を示せばいい。しっかり伝えていかないと、原爆は遠い過去になってしまう。



「壁もない。天井もない。医療の知識さえなかった」。横路さん(中)は遺体にメスを入れた広島逓信病院で、郷田さん(左)と播磨さんに語り掛けた(撮影・荒木肇)





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放射線の脅威

 原爆が放出された初期放射線は、アルファ線、ベータ線、ガンマ線、中性子線などがあり、広島赤十字病院のエックス線フィルムも感光させた。投下2日後に広島入りした大本営調査団が原爆と判断する根拠となったが、国民には伏せられた。多量の放射線を浴びると骨髄などの造血細胞が損傷を受ける。白血球が造れずに感染症を招きやすくなったり、血小板の減少で出血が止まらなくなったりする。急性症状の代表例である。


核戦争防止国際医師会議(IPPNW)
 医師の立場から核戦争を防ぐため、1981年、米国バージニア州エアリーで第1回世界大会を開催した。85年度にノーベル平和賞を受賞。世界58カ国の医師ら約10万人が加わっている。2年に1度、世界大会を開く。今年8月には広島市内で、日本と中国、韓国、北朝鮮、モンゴルの五カ国でつくる北アジア地域会議がある。




 



 語り終えて

横路さん
使命感 伝わった

 戦争中は動員され、勉強なんてできる雰囲気じゃなかった。若い人はそういう厳しい環境を想像できないだろうし、被爆後の広島市内の様子が分からなくても当然だと思う。ただ、私の話を真剣に聞いてくれた。言葉の端々から、医師としての使命感も伝わってきた。
 最先端の医療でも、放射線を浴びた患者を救いきれない。しかし、医療は日進月歩。これまでも不可能だと思われた分野を解明してきた。放射線の後障害分野で新境地を開くのは難しいかもしれないが、チャレンジは必要。若い人のエネルギーで打ち破ってほしい。



 聞き終えて

播磨さん
人体への影響学ぶ

 原爆が人体にもたらしたつめ跡を直視しなければならなかった当時の状況を考えると、胸のふさがる思いがした。苦しむ人の痛みを和らげることも、命を助けることもできない無力感にさいなまれたのではないか。広島で育ち、医学を志す者として、放射能の人体への影響についてしっかり学びたい。そして、原爆の残酷さを伝えていくことができればと思った。


郷田さん
科学的に危険訴え

 今の医学が大量の放射線の前で無力であることを、より現実的に感じられた。悲惨な状況下、見えない放射線に苦しむ患者を前に、何もできなかった医師たちの無念さを感じた。現代は原子力エネルギーがさまざまな形で使われている。医学にかかわる者として、核兵器による悲劇が繰り返されないよう、放射線の危険性を科学的に多くの人に伝えたいと思った。





担当記者から

  無力さ感じたからこそ

 「最先端の現代医学でもヒバクシャを救いきれん」という横路さんの言葉は重い。原爆投下から60年が過ぎた今なお、放射線の人体影響には不明な点が多い。
 一方、ヒバクシャ医療に関心を持つ若者が減ったと、ベテラン医師たちの嘆きを頻繁に聞くようになった。これも体験風化の一側面なのだろう。
 横路さんは「関心を持ってくれてうれしい」と漏らした。あの廃虚で無力さを感じたからこそ、医療面でも継承をと強く願うに違いない。(桜井邦彦、門脇正樹


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