問われる「原因確率」 |
原爆症の認定で、国は「原因確率」を目安に使う。被爆者のがんなどの発生が、どれくらいの確率で原爆放射線被曝(ひばく)に起因するかを、男女別に、推定被曝線量と被爆時の年齢との関係で示すデータ。具体的な数値は、厚生省のホームページで公開されている。50%以上なら原爆の影響の可能性が「ある」、10%未満なら「低い」。その中間は個別の判断となる。原因確率は、放射線影響研究所(放影研)の児玉和紀疫学部長(当時広島大医学部教授)を主任研究者とする研究班が、これまでの被爆者調査を通じて蓄積したデータを基に算定した。一方、日本被団協の伊藤直子原爆被爆者中央相談所相談員は、原因確率を目安とすることに批判を強める。
|
|
医師17人で審査
被爆者のがんや白血病、やけどなどの病気やけがが、原爆の放射線や熱線に起因し、治療を必要とする場合に、厚生労働相が「原爆症」と認定する。病気やけがの回復能力が被爆の影響を受けていて現に医療が必要な場合も含む。治療期間中は医療特別手当(月額十三万八千三百八十円)、治った後は特別手当(同五万千百円)が支給される。被爆者援護法に基づく制度。
被爆者は認定を求める病名や被爆状況、健康状態などを書いた申請書や、診察医師の意見書などを窓口の都道府県や広島、長崎両市に提出する。厚労省の疾病・障害認定審査会原子爆弾被爆者医療分科会(会長・佐々木康人放射線医学総合研究所理事長)が審査し、厚労相に「認定」「却下」のほか、さらに検討が必要とする「保留」のいずれかを答申する。
分科会は皮膚科や眼科、外科、産婦人科などの医師ら十七人で構成。審査は月一回のペースで、プライバシー保護を理由に非公開。昨年度は計八百八十六件の申請を審査し、19・3%の百七十一件を認定している。
事務局の厚労省健康局総務課によると、六十〜八十件程度を一日約五時間で審査。事務局の説明を聞いた上で申請書類の記載事項を検討し、専門医がそれぞれ意見交換。出席委員の過半数が「原爆に起因する」と判断した場合、原爆症に認定される。
「個人」では3件勝訴
原爆症の認定申請が却下されたのを不服とし、被爆者個人が法廷の場での解決を求めた「認定訴訟」はこれまでに六件。うち原告である被爆者の勝訴は三件、敗訴一件、係争中が二件ある。
各訴訟に共通する争点は、病気やけがが原爆に起因するかどうかの「放射線起因性」と、現に治療を必要としているかどうかの「要医療性」の二点。
例えば、長崎原爆松谷訴訟で一審の長崎地裁判決(一九九三年)は「DS86などだけで、放射能の影響を否定することは科学的でない」、京都原爆訴訟でも一審の京都地裁判決(一九九八年)は「起因性の証明は他の可能性より相対的に高ければよい」とするなど、原告勝訴の判決は、起因性について幅広い観点からの判断を求める傾向にある。
二〇〇〇年、国にとって敗訴が二件続いたのを受け、厚生労働省は翌年、認定審査に「原因確率」を導入した。
《原爆症認定をめぐる 主な動き》
1957・ 4・ 1 原爆医療法施行
60・ 8・ 1 原爆医療法一部改正。認定被爆者に医療手当支給
68・ 9・ 1 被爆者特別措置法施行。医療手当を廃止し、特別手当など支給開始。
69・ 3・26 尾道市の桑原忠男さんが認定却下処分の取り消しを求めて提訴。73年4月の広島地裁と79年5月の広島高裁判決でいずれも原告敗訴、上告断念
73・ 5・17 広島市の石田明さんが提訴。76年7月、原告勝訴。国は控訴断念
95・ 7・ 1 被爆者援護法施行
99・ 6・29 東京都の東数男さんが提訴
10・ 1 札幌市の安井晃一さんが提訴
2000・ 7・18 長崎市の松谷英子さんの訴訟で、最高裁が原爆症と認め国の上告を棄却
11・ 7 京都市の男性の訴訟で大阪高裁が国の控訴を棄却。国は上告せず、原告勝訴が確定
01・ 5・25 厚生省の疾病・障害認定審査会の原子爆弾被爆者医療分科会が、「原因確率」を導入した「審査の方針」を決定
02・ 7・ 9 全国の被爆者76人が原爆症の認定を求めて一斉申請。03年3月までに集団申請は計4回、約500人
03・ 4・17 長崎県などの被爆者7人が第1陣の集団提訴。5月27日に第2陣21人
|
個人ごとに検討を ▽立証責任は国にある
日本被団協原爆被爆者
中央相談所相談員
伊藤直子さん(55) |
|
「原因確率に、個々の被爆状況は反映されない」 |
―集団訴訟の理由は。
国が敗訴した「長崎原爆松谷訴訟」の最高裁判決を経て、原爆症認定制度の改善が進むと思ったが、実際は違った。判決後、国が新たに認定審査の判断基準として導入した「原因確率論」は、病気が発症する確率を機械的に計算しただけ。被爆者の切り捨てにつながりかねない。個別の訴訟で勝訴したのにこんな結果では、集団訴訟で判断基準そのものも争っていくしかない。
―原因確率論のどこが問題ですか。
爆心地からの距離を基にした従来の被曝線量推定方式に男女別や年齢を加味している、などと国は言うが、個々の被爆状況は反映されていないのに変わりはない。被爆地での滞在期間、入市被爆の状況や「黒い雨」の影響など、一人ひとりの実情に合わせた多面的な検討が必要だ。
一方で、国は「申請者の生活環境なども総合的に勘案する」としてきたが、爆心地から二キロ以上で被爆した人はほとんど認定されないのが現状。原因確率論という新しい基準の導入で、ハードルはより高くなったとも言える。
―被爆者が求める認定制度とは。
現行制度では、病気やけがが放射線に起因することの立証を、被爆者側に求めている。しかし、放射線の人体への影響は現代科学でも解明しきれていない部分。被爆者個人に立証を求めること自体に無理がある。
必要なのは、国側の姿勢転換。「疑わしきは認定する」と改めることだ。申請に対し「百パーセント原爆と関係ない」と立証する責任を国が負い、それができない以上は認定する―。被爆者援護法の国家補償的な性格から考えてもそうあるべきだ。
―原告たちは最後の闘いと位置付けています。
高齢化が進み、健康に不安を抱える中、裁判は楽ではない。それでも提訴に踏み切ったのは、半世紀以上引きずってきた苦悩を、何とか国に認めさせたいとの思いを、それぞれの被爆者が持っているからだ。
被爆者健康手帳の交付や各種手当の支給など、被爆者援護事業のほとんどが都道府県や広島、長崎両市の業務。その中で原爆症認定は、国が被爆者に直接かかわる数少ない接点。そこで勝訴すれば、被爆者対策全体を改善させることにもつながるはずだ。
|
蓄積データで算定 ▽運用は社会的要素も
放射線影響研究所
疫学部長
児玉和紀さん(55) |
|
「疫学的には確立された手法。あとは運用の問題だ」 |
―「原因確率」とはどういうものですか。
私たちは、「寄与リスク」と呼んでいる。放射線被曝が病気につながるリスクを疫学的に評価する指標は三種類ある。被爆者の病気の発生が被爆していない人の何倍かを示す相対リスク、双方の差を表す絶対リスク、そして寄与リスクだ。
ある人ががんになった場合、喫煙や食生活などさまざまな要因が考えられる。寄与リスクはこのうち、放射線がどの程度影響しているかを表す。実際は、相対リスクから「1」を引き、相対リスクで割って算出する。
私たち研究班は、放影研が蓄積した被爆者のデータを使った。被曝線量推定方式DS86に基づき、がんの種類別に、放射線の影響がどの程度になるのか、男女、線量、被爆時年齢別に寄与リスクを出し、表にした。
―日本独自の考え方ですか。
米英では一九八〇年代から研究され、核関連事故の補償などに適用されていると聞く。やはり、寄与リスク50%が一つの目安のようだ。
―あくまで確率であって、放射線に「強い」人もいれば、「弱い」人もいるのでは。
集団のデータを基にしているため、個人個人にあてはめるのはどうかという議論は当然ある。
例えば、認定申請した被爆者個々の遺伝子を解析するという方法は考えられるだろう。しかし、病気の発生との関連は未解明の部分が多すぎ、残念ながら現段階では利用できない。
―要は、個人差をカバーする認定審査ができるかどうかですね。
どこで(認定するかしないかの)線を引くか、疫学調査の私たちは言える立場にない。われわれがつくった寄与リスク自体の妥当性も含め、判断するのは厚生労働省であり、認定の審査会(分科会)だ。当然、個人差もあり、DS86の推定線量自体も個人にあてはめれば誤差はあるだろう。寄与リスクは判断の目安。学問的には確立されているが、ある意味の不確かさも踏まえ、社会的な要素なども考慮しながら運用してほしい。
―寄与リスクが出せない病気もありますね。
放射線の影響がないとは言えないが、確実にあるとも言えない病気は多い。がんでも前立腺がん、直腸がんなどがそうだ。入市被爆者については、被曝線量の推定方法があり、適用できる。
|