街角の被爆建物を訪ねる―2000年夏(2) '00/7/25
■日本麻紡績の給水塔/時代は移り…緑潤す
マンションや民家に囲まれ、緑の塔がにょきりと立つ。高さは十メートルを優に超えている。広島市西 区のJR西広島駅から南へ十分ほど歩いた宮島街道沿いにある、浜 田樹苗園の一角。社長の浜田秀蔵さん(53)に、塔の由来を教えても らった。
「原爆投下の時までここにあった日本麻紡績の工場の給水塔で ね。戦後もそのまま、手を加えとらんのよ」
桜、ケヤキ、ツツジなどの幼木が育つ園内を抜け、塔の直下へ。 緑色のツタの衣の下は、爆風に耐えた赤レンガが当時のままに積み 重なっている。幅約四・五メートルの四面すべてにアーチ窓のある 三層建て。最上部の鉄板はすっかり赤茶色にさびている。そばには 被爆した煙突の下部と、直径約二メートルの井戸が二つ並ぶ。
浜田さんによると、戦後に父親が工場跡地の払い下げを受け、創 業。荒れた山々を復元するための、松や杉の苗木を生産した。レン ガの塔は当初、たき木などを入れる倉庫に使われていた。その後、 一階にポンプを据え、井戸水を吸い上げて樹木を潤した。
半世紀を経て、山林復元から都市緑化に仕事の重点が移り、園内 で育てる樹種も変わってきた。その間も、塔や井戸はなくてはなら ない施設だった。最近は園内を訪れる人も増えたため、浜田さん は、塔の周りにさくを設け、被爆の説明板も付けようと思ってい る。
【写真説明】ツタに覆われた塔は、緑化を支える樹苗園のシンボルでもある