原爆供養塔清掃 主婦二人が引き継ぐ

'00/8/4

 原爆の日が近づく広島市中区の平和記念公園。名前が分からない まま新世紀を迎えようとしている約七万人の遺骨が眠る原爆供養塔 の雑草を抜きながら、広島市東区光が丘の主婦平岡満子さん(58)がつぶや いた。「被爆者の思いに少しでも近づけるように思うんです」。四 十年以上にわたって供養塔の掃除を続け、被爆の証言活動をしてい た東区福田一丁目の佐伯敏子さん(80)が病床に倒れた後、供養塔の 「世話」を引き継いだ。掃除をすることで、体験していない五十五 年前の「あの日」を少しでも分かりたい、という思いからだった。

 供養塔ができた一九五五年ごろから通い続ける佐伯さんに、平岡 さんが会ったのは十四、五年前。佐伯さんは公民館で体験を語って いた。その後、自宅を訪れて話を聞いた。避難所でおいたち肉親が 次々と亡くなる悲しさ。「水をちょうだい」と助けを求める人たち を救えなかった後悔の気持ち…。

 「ここの遺骨はだれのものかさえ分からんのよ」。供養塔の落ち 葉を集め、盛り土の雑草を取り除く佐伯さんの言葉が、東京出身で 原爆をよく知らなかった平岡さんの心を揺さぶった。「月命日」の 六日に供養塔を訪れるようになり、いつしか一緒にほうきを持つよ うになった。

 佐伯さんが脳梗塞(こうそく)で入院したのは九八年十二月。四 カ月後に退院したが、毎日、バスで一時間半かけて平和記念公園に 行くことはできなかった。平岡さんが盛り土の雑草を見たのはこの ころ。供養塔を守ってきた佐伯さんの努力をあらためて感じた。

 昨年五月から、友人の主婦渡部和子さん(56)=西区横川新町=も 掃除に加わった。「佐伯さんのように毎日なんてとても無理。合間 を見つけて行っているんです」。小学生だった長女の平和学習をき っかけに「自然に関心を持つようになっていた」という渡部さんは 来るたびに供養塔に語り掛ける。「水を持って来ましたよ」「お花 はどうですか」。話し続ければ、いつか対話できるような気持ちにな れるのでは、と思うからだ。

 自宅で原爆死没者のめい福を祈り続ける佐伯さんに「早く元気に なってもらって、またここに来てほしい」と二人は口をそろえる。 しかし、いたわるように盛り土の草を抜く二人には、単なる「代 役」でなく、「被爆者の心に近づき、『あの日』を伝えたい」と願 う気持ちが芽生え始めている。

【写真説明】原爆供養塔の雑草を抜き取る渡部さん(左)と平岡さん。「被爆者の気持ちに近づき、『あの日』を伝えたい」と話す(広島市中区の平和記念公園)=写真右上
自宅で療養を続ける佐伯さん(広島市東区)


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