爆心の寺、半世紀ぶり建て替え

'00/7/29

 爆心直下で壊滅し、戦後は「原爆逮夜法要」の会所を務める広島 市中区大手町一丁目の西向寺(高松秀峰住職、浄土真宗本願寺派) が、本堂や門信徒会館の本格的な建て替えを終え、来月三日に遷座 法要を営む。建て替えは半世紀ぶり。被爆当時の熱線で表面が溶け た墓石は境内に残した。

 同寺は爆心地・島病院と原爆ドーム(旧広島県産業奨励館)に挟 まれた一角に建つ。爆風で本堂や庫裏は吹き飛ばされ、悟慚前住職 (故人)の母親たち四人が被爆死。近隣では一家全滅の門信徒が続 出し、約千基の墓石のうち、約七百基が無縁仏になったという。今 も約三十基の墓石は被爆当時のままで、熱線で石の表面が溶けた痕 跡が残る。

 戦後は一九四九年に再建したが、都市計画で境内地は大きく縮 小。バブル時代には移転話を断り、九四年の秀峰住職の継職を機に 門徒総代会が五階建てのビルへの建て替えを決断。一年がかりで工 事を終えた。門信徒会館は、秀峰住職の大祖父で、安芸地方の真宗 学僧の系譜に連なる高松悟峰勧学の院号にちなんで「広済会館」と 命名された。

 三日は午後二時から完工式と遷座法要を営む。法要では戦時中、 広島県安芸郡音戸町に疎開していて焼失を免れた阿弥陀如来木像を 新しい本堂に安置する。また、戦時中に供出を命じられて戦後はな かった梵鐘(ぼんしょう)も今回門徒から寄進を受ける。

 秀峰住職は「葬儀だけでなく、今生きている人にとって役立つ寺 でありたい。原爆ドームと平和記念公園に隣接した寺としての役割 を考えたい」と話している。

【写真説明】5階建てに建て替わった西向寺(広島市中区大手町1丁目)


MenuBackNext