核と戦争のない世界を

物理学者として水爆製造に携わり、その後、核兵器開発の中止や国内民主化などを主張してきたソ連のノーベル平和賞受賞者アンドレイ・サハロフ博士(68)が4日、被爆地・広島を初めて訪れた。原爆資料館などを見学、広島市役所講堂で約600人の聴衆に「核兵器廃絶と戦争のない世界の実現を」と呼び掛けた。

「ソ連水爆の父」と呼ばれるサハロフ博士は、核時代の原点ヒロシマへの訪問を「私の義務」と語り、この日朝、福岡をたって広島に向かう新幹線車中から「胸の高まり」を覚えたという。平和記念公園では保存工事が始まった原爆ドーム、原爆資料館を見学し、エレーナ夫人とともに原爆慰霊碑に花輪を供えた。

原爆資料館では、被爆者の川本義隆館長の説明を受けながら、高熱で溶けたガラス容器、人影が残った石段などを目の当たりにし、「恐ろしい悲劇。心臓が締め付けられる思いだ」と沈痛な表情。「このようなことが決してどこにおいても繰り返されることがないよう誓わねばならない」と記帳した。

午後から市役所講堂で開かれたパネルディスカッション「ヒロシマと世界を語る」には、矢野暢京都大教授、荒木広島市長と出席。サハロフ博士は通常兵器戦力の均衡や地域紛争の解決、東西両陣営の接近による多元的世界の実現などを「段階的な核兵器廃絶への条件」として挙げた。

サハロフ博士は1975年にノーベル平和賞を受賞。反国家活動を理由に1980年から6年間、ゴーリキー市へ流刑となったが、ことし4月、人民代議員に当選し、改革派リーダーとして活躍中である。

(1989年11月5日朝刊)