2001/9/23 手術が終わって、ベッドの生活から早く抜け出そうと心掛ける。ふらつきながらも、何とかゆっくり廊下を歩き始める。気持ちは先に進むのだが、体がいまひとつ付いてこない。やはり、手術のダメージは大きかったのか。 自分の体であっても、思い通りにならないのは情けない。抗がん剤の副作用で、手足のしびれも強くなってきたし、おなかの傷も痛いし、チューブを着けて、体を二つ折りにして歩いている。見えないがん細胞と徹底抗戦するための抗がん剤投与が、まだ二クール残っている。それに備えて、体力もつけなくてはならない。 しかし、食べたいものがあっても、一階の売店まで降りる体力がない。病院内にボランティアがいれば、気兼ねなくお願いできるのだが。出前か、通信販売でも頼みたい感じさえする。 まだ、寒い季節なので、暖房のない階下に行き風邪でもひくと、さらに治療が長くかかり、退院も遅れる。「じっと我慢の期間もあってもいい」と、ため息交じりで日々の生活を送っていた。テレビも見たいだけ、見られるし…。 そんな生活の中で、はまったのが「イチロー」だった。スポーツニュースで彼の活躍を見るたびに、つまりヒットを打ちまくるごとに、私の免疫力、治癒力が上がっていく感じがした。 彼のチャレンジは、夢を現実にするための努力の積み重ねなのである。毎日毎日、ビュンビュンとバットを振って、着実に成果を上げている姿は、「努力は人を裏切らない」ことを証明していた。 私たちのがん治療も、毎日毎日の積み重ねである。家族の支えも無論だが、私の心の支えの一つは、そんな努力の人イチローだった。ベッドで手をたたいたり、黄色い声は上げられないが、「よーし」と気分が盛り上がる。 やがて、「寝て声援を送るのは失礼だ」と座ってみる。次には、「活躍をもう一度」と、完全防備で寒い階下へ新聞、雑誌を買いに行く。さらに、「イチローグッズが当たらないかな」と、ポストまで歩いてはがきを投かんする。どんどん行動が広がっていき、闘病生活に張りが出た。 「意外とミーハーね」と言われても、笑われても構わない。それからは、ヒットのたびごとに「私のために打ってくれている」と、錯覚まで起こしてしまった。 |