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世界の中のヒロシマ

(13)「ヒバク」経験 両国の友情紡ぐマディナ・サディコワ

こんにちは。ジュニアライターの一人、マディナ・サディコワです。3月初めにカザフスタンに帰国し、大学の受験勉強を頑張っていました。私が広島に留学するきっかけを作ってくれた「ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト」など、私の古里と広島とのつながりを紹介します。

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帰国前の送別会で、日本の友だちと話す筆者(2月)

マディナ・サディコワ

カザフスタン・アルマトイ市生まれ。セミパラチンスク市の高校在学中の昨年4月から1年間、山陽女学園高に留学した。今年3月に帰国するまで広島でジュニアライターとして活躍した。

セミパラチンスクは1949年8月に旧ソ連が初めて核実験をして以来、89年までに約470回も繰り返された場所です。ここには広島と同じくヒバクシャがたくさんいるのです。

94年に広島市であったアジア競技大会のときに「公民館による一館一国応援事業」という取り組みがありました。そのとき、広島市西区の公民館がカザフスタンの選手を応援したのをきっかけとして始まった草の根の運動が私を招いてくれたこの非政府組織(NGO)のプロジェクトへと発展しました。私を含め、これまでに13人が留学生として招かれています。

また医療支援訪問団が訪れて検診してくれるほか、医療機器や医薬品の寄贈もされています。

私は2年間日本語の勉強をしてこのプロジェクトの交流事業の試験に受かり、2006年4月から1年間、山陽女学園高校に留学しました。寮で生活し、日本人の友達もたくさんできました。被爆者に会ってお話しを聞き、原爆の恐ろしさと平和の大切さを理解しました。「ひろしま国」の創刊号で記事にも書いた通りです。

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そして昨年8月6日の平和記念式典に出席し、感動しました。私の国にはみんなで追悼したり、平和を祈る式典はありませんが、見習うべきだと感じました。

今回、セミパラチンスク医科大学で副学長を務めたウラザリン・マラット医師(64)にインタビューしてみました。彼は89年に発足した核実験反対団体のセミパラチンスクでの会長を務め、広島にも4度行ったことがあります。

94年に初めて訪れた広島は「原爆が落とされた街とは思えなかった。資料館などを見て被爆者の話を聞いて、やっと本当だったんだと思った」そうです。そして広島について「カザフ人との間で友情が生まれた。いつまでも発展させ、子どもや孫の代までこの友情を喜びたい」と話していました。

私も同じ思いです。