私はANT―Hiroshimaという非政府組織(NGO)の代表を務めています。
パキスタンで、震災の復興支援や保健医療の小さなプロジェクトをしているのです。うまく進んでいるか調べるため、3月28日から4月15日まで現地に赴きました。この地に育とうとしている、ヒロシマが縁の平和の芽について、紹介しますね。
サダコ・トラストが建設を進めている学校予定地。後側のテントはカシミール難民キャンプ(4月)
広島市中区生まれ。両親を被爆者に持つ。20歳のとき祖父が亡くなったのを機に、平和問題に取り組み始めた。さまざまな活動を通して得た平和の思いを生涯学習・学校教育現場などで子どもたちに伝えている。
訪れたパキスタンのカシミール地方は、領有権をめぐりインドとの紛争が60年以上も続いているところです。そして2005年10月、死者7万人以上、被災者約300万人もの犠牲者を出した地震が、ここを襲いました。死者の約3分の1が子どもでした。地震の起きた時刻が午前8時50分ころだったため、耐震強度のない学校の建物の下敷きとなり、多くの子どもたちが命を落としたり大けがを負ったりしました。
その2週間後、私たちが緊急支援に行くと、壊滅的に破壊された町を前に、現地の人々は「この状況は、ヒロシマと同じだろう」と語りました。地震への恐怖心とともに、彼らには「多数の人々が死んでいった中、なぜ、自分だけが生き残ってしまったのか」という深い傷が心に残っていました。
緊急支援から復興支援に移った06年8月、佐々木禎子さんをモデルにした絵本「サダコの祈り」をパキスタンで出版し、読み聞かせをしながらカシミールのテント村や学校へこの絵本を配布しました。
禎子さんの悲しみと希望に深く共感した子どもたちは「サダコのように希望を失ってはならない」「傷ついた広島や日本国を立て直したことがすばらしい。サダコはすごいし、希望を持っていていい」「広島は原爆でぼう大な被害にあったが、人々の勇気で町を再びつくった。それに感銘を受けた」と話していました。
そして長年の紛争と地震で痛めつけられたカシミールの大人たちが、そういった子どもたちの反応に触発され、町を復興させるために立ち上がったのです。昨年9月、自分たちのNGOをつくりました。「教育・友情・平和」を目的として、その第一歩として学校を建設し、平和教育の実践を目指します。名前は「サダコ・トラスト」。
今回訪問したときは、学校の基礎工事が終わったところでした。ゆっくりと歩みだしたという段階ですが、私たちはできる限り息長く、この「サダコ・トラスト」を応援したいと思っています。