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世界の中のヒロシマ

(6)もうすぐ100校 学校建設支援松田 実

1993年から私たちが始めたネパールでの学校建設支援。今年3月には、首都カトマンズの南東約600キロにある山村で97校目の開校式がありました。目標としていた「100校」も来年春には達成できそうです。

ネパール

完成した学校の前であいさつする松田さん(今年2月)

ネパール

三等叙勲の授与式後の晩餐会で、国王(右)と握手する松田さん

松田実(まつだ・みのる)

東広島市出身。山陽高教諭を経て、1973年広島経済大の教務部係長に。就職部長、学生部長などを務め、2004年退職した。1996年広島アジア交流賞受賞。2005年ネパール国王より三等叙勲。現在は広島修道大などで非常勤講師。

私がこの支援を始めたのは、観光旅行の際に土砂崩れによる通行止めに遭遇し、植林の必要性を痛感したのがきっかけでした。91年に政府から植樹のため山を借り、約1万本の松、山桜、チャンチンモドキ、ハンノキなどの苗木を植えました。その作業の休憩場所が、屋根のトタンがはげ、黒板もチョークもない、ただの小屋にしか見えなかった学校だったのです。

この校舎を修復するといくらかかるのかと尋ねると、「約15万円でできる。約50万円あれば立派な校舎が完成する」というのです。当時私は広島経済大の就職部長をしており、『マンガで見る「人材採用マーケティングの勧め」』(雪書房発行)を出版したところでした。この収益金で2校の学校建設を思い立ったのが始まりです。

次の条件を満たすところに、日本で資金協力者を募って学校を建ててきました。(1)建設土地の無料提供者がいる(2)学校完成後は、政府、自治体から教員が派遣される(3)識字率が低い(4)経済的に困窮している(5)建設スタッフを明確にする(6)村民が一致して学校がほしいのだという意欲を感じる―の6つです。

大学勤務中はネパール学校建設支援愛好会を設立。学生たちを同伴して「君たちには何ができるのか、何を学ぶのか」をテーマに、20数回現地を訪問しました。04年に退職し、知人と8人で「ネパール学校建設支援協会In・ひろしま」を結成し、目標に向けた努力を続けてきました。

建設した学校で、資金協力してくれた広島市の女性が自作の原爆紙芝居を読み聞かせたこともあります。現地の報道機関に大きく取り上げられました。

ネパール地図

03年ころから現地は政情不安で、訪問する際も度々スケジュールの変更や中止を強いられています。山村のため、危険度はさらに高いのです。道路は封鎖され通行ができないことや、車で移動中に銃を掲げた軍隊に止められ、荷物検査を強いられることもありました。不安と危険がつきまとうのです。

私は数々の病気を経験し、いつまでこの活動が続けられるか分かりません。しかし、悔いを残さないためにも、皆さんの協力に感謝しながら、ネパールの恵まれない子供たちのためにひたすら努力をしています。