アメリカでは、ホームパーティーがよくあります。ご近所さんに招かれると、家族や親せきなど外国人がいっぱい。もっともニューヨーク(NY)に住んでいる私が外国人なのですけど。大抵最初の質問は「日本でどこに住んでたの」です。
ニューヨーク在住の広島出身者が集まった県人会(2月16日)
1973年、広島市安佐北区生まれ。舟入高演劇部時代に3年間原爆劇創作にかかわる。01年から03年までニューヨーク留学。米中枢同時テロを目撃した。05年からNYに移住。ナレーションの仕事をしながらブロードウェーを目指す。
「広島出身です」というと、びっくりするくらい反応してくれる皆さま。HIROSHIMAはTOKYOの次くらい有名な気がします。「家族は大丈夫」とか「大変だったね」とか。祖父母はその時代を生きているけれど、私が生まれ育ったのは復興後の広島なので戸惑ってしまいます。
さて、2月中旬にNYの広島県人会が開かれました。全員で何名いるかは不明ですが、過去最高の45人が出席しました。学生、先生、会社社長、ミュージシャン…。こんな機会がなければ出会う事のない人です。広島クイズなどで盛り上がり、タレントの相原勇さんも駆け付けてくれました。不動産会社の社長をしている方のあいさつには、世界の戦争へ向けてのコメントもあり、私たちって「戦争」という言葉に敏感な県民なんだと思った私です。
NYに住む日本人(特に広島出身)は平和に関する活動をしてる人が多いんです。日本人住職がいる寺では、8月6日や15日に集まりがあり皆で黙とうします。広島出身の方が、戦争・平和についての映画やアニメを企画上映もしています。
私は5年あまり前の米中枢同時テロの時にNYにいて、ビルが燃えるのを学校に行く途中のバスの中から目撃しました。ビル崩壊後の街の悲しみや混乱も目と心で感じました。その時も広島で育ち、平和学習をしてきたからこそ感じる事がたくさん、たくさんあった気がします。
私は心から思います。罪のない人々の命を奪い、家族を亡くすつらさを味わう人がひとりでも少なくなればいい、と。
テロで家族を亡くした人が言いました。「5年というのは私たちには数でしかない。今までもこれからも変わってしまった人生を受け入れる努力をして生きるだけ」。
62年という長く感じる歳月も実際に戦争・原爆を体験した方々には数でしかないのかもしれない。これからもアメリカに住む広島出身者としてたくさんの事を感じ、学び、伝えていきたいと思います。