ひろしま国のジュニアライターが子ども国際会議の開催を提案したのがきっかけで、2010年2月に「APECジュニア会議in広島2010」が広島市内で開かれました。会議には、19の国と地域から高校生を中心に若者37人が参加。経済や環境問題について議論するとともに、原爆資料館を見学し、被爆者の体験談を聞きました。そして、平和で豊かな社会を築くための「宣言文」を作りました。
今回、ひろしま国の創刊100号を前に、会議の参加者に、会議が自身に与えた影響や現状を取材しました。ジュニアライターのまいた「種」が、世界各地にしっかり根付き、枝葉を広げているのがよく分かりました。
2010年2月に開かれたAPECジュニア会議全体会議の様子(原爆資料館)
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APECジュニア会議in広島2010 「私たちと地球の未来〜平和で豊かな社会を築くために」をテーマに、2010年2月20〜23日、原爆資料館(広島市中区)を主な会場として開催。松島圭次郎さんによる被爆体験を聴講、原爆資料館見学、詩人アーサー・ビナードさんの基調講演、「環境」「教育」「異文化理解」「食と貧困」の分科会を踏まえて、全員で「宣言文」をまとめた。宣言文は、同じ頃に広島市内で開催されていたアジア太平洋経済協力会議(APEC)高級事務レベル会合議長に伝達した。 |
平和の芽 強くたくましく −影響・現状 22人に聞く
サラス・サムリさん(19)=インドネシア 今、ITで有名な韓国の大学で、視覚デザインを勉強しています。平和とは世界中の人がきれいな環境で幸せに暮らすことです。会議を通して、他の国の環境問題を深く理解できるようになりました。さまざまな国の人と問題を話し合える良い機会になりました。会議でできた友達に会いたいです。(中3・木村友美) |
ポーンピパット・カセームサップさん (19)=タイ
バンコクにあるカセサート大農学部の2年で、園芸学を専攻しています。会議のおかげで、多様性を認め合って生きていく姿勢を身に付けることができました。 |
ミシェル・シムさん(19)=シンガポール 会議では参加地域の政治や経済、文化への理解が深まりました。 |
カレブ・カストロさん (19)=シンガポール
5月から兵役中です。終わったら大学で会計とビジネスを学びます。会議では、周りの人に対して寛容な心を持つ大切さを学びました。以前は、平和とは精神、魂、肉体が調和した状態という個人的なものでした。今は、集団の中で互いを理解し、受け入れられる社会が平和だと考えるようになりました。(高1・井上奏菜) |
カン・ドンウさん(15)=韓国 会議を機に、絶滅危惧種を守る自然保護活動をするようになり、将来は自然科学者になりたいと思うようになりました。会議の経験や小学生に英語を教えるボランティア活動など、平和や環境についてブログに書いて発信しています。世界平和の実現のためには、お互いを尊敬し、理解し合うことが大切です。(中3・木村友美) |
串岡理紗さん(20)=日本 早稲田大政治経済学部政治学科の2年です。現在、「模擬国連」という大学のサークルで活動しています。今までに、気候変動や人道的支援、リビア情勢などをテーマにした会議に参加し、大学生同士で議論しました。さまざまな国の立場で国際問題を捉えることができるようになりました。(高1・坂田弥優) |
イズカイリー・ヤコブさん (19)=ブルネイ
会議に参加した経験を家族や友人に話しました。平和とは、全ての人が互いを尊重しあって生きることだと感じました。尊重する心がなければ、平和の実現は不可能です。そのためにやるべきことがたくさんあります。友人や近所の人たちと良い関係を保つなど、小さな心掛けが平和につながると思います。(中1・松尾敢太郎) |
アフマッドファイズ・ザイラニさん (19)=ブルネイ
会議に参加して考えが広がり、自然を守ることの大切さを感じました。毎週末、レジ袋を使わないキャンペーンに取り組んでいます。 |
フェイ・レンチュールさん (18)=オーストラリア
会議を機に「変化を起こす」という目標を持ちました。ジャーナリズムや世界文学を学びたいという気持ちにもなりました。広島での活動を持続させようと、今秋ハワイであるアジア太平洋経済協力会議(APEC)のボランティアもやっています。自分の世界観を変えたジュニア会議に感謝しています。(中2・河野新大) |
コグラン・サバラトナムさん (19)=オーストラリア
会議に参加して、政治に興味がわきました。大学では政治経済を学んでいます。将来は政治関係の職業に就きたいです。 |
愛や寛容な心持つ 多様性認め合う視点 大学進み「模擬国連」 他国の環境にも関心 今秋のAPEC協力 レジ袋使わぬ運動 農村手伝いや教師役 貧しい子どもに辞典 いろんな人と友達に 岩手でボランティア 国際イベントに参加 行動することが大事 |
三宅利智さん(18)=日本 会議で世界の各地に友達を得、人間的に強くなれた気がします。 |
趙域航さん(19)=中国 会議では、平和と発展についていろんな方向から理解し、他の学生の考えを知ることができました。会議後、中国や世界における、平和や貧困、経済発展に興味を持つようになりました。 |
ミン・レーさん(18)=ベトナム 4月から横浜市立大でビジネスを学んでいます。会議の後、他の人と意見を交わすイベントに積極的に参加するようになりました。常に新しい知識を得て、世界や身の回りに興味を持つよう心掛けています。今は「ベトナム学生青年協会」で、ベトナムの文化や特色を、日本で広める活動をしています。(高1・井上奏菜) |
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さん(18)=台湾 祖母のいとこが広島の原爆で亡くなりました。広島は人々の努力で平和な都市になりました。平和の実現のためには、世界中のみんなの努力が必要です。会議を通し、小さくてか弱い私たちでも、間違いなく変化をもたらすことができると分かりました。私たちは未来に対して責任を持たなければなりません。(高2・畦池沙也加) |
シャランディープ・ジャスディープシング さん(18)=マレーシア
会議に参加し、環境など世界のさまざまな問題に興味を持つようになりました。今は、植樹や若者の健全育成活動に積極的に参加しています。平和とは基本的人権が守られ、自然と共生できる調和の取れた社会だと思います。達成するには、全ての人がそれぞれの暮らしの中で貢献しなければなりません。(中1・松尾敢太郎) |
ムハマッドハジム・モハマッドさん (18)=マレーシア
大学に通いながら、農村での手伝いや貧しい人のための服の収集、若者に数学や英語を教えるボランティア活動をしています。会議では、大人だけでなく若者も、この世界をもっと住みやすくする責任があることが分かりました。未来のリーダーとして正しい教育と経験を積み重ねることが不可欠です。(中3・石井大智) |
エリ・サトウさん(19)=メキシコ 平和とはいろんな国の人が友達になることです。会議では多くの素晴らしい人に出会いました。平和や環境について広島で話し合う機会はとても貴重です。6月に復興ボランティアのため岩手へ行き、清掃したり、子どもと遊んだりしました。復興への道のりは長いですが、また参加したいです。(高2・岩田萌) |
ジュリ・サトウさん(19)=メキシコ カナダのトロント大に通っています。夏に横浜市の実家に帰省した際、岩手県釜石市へボランティアに行きました。東日本大震災の被害を目の当たりにし、活動できたのは素晴らしい経験でした。 |
小畠一真さん(17)=日本 会議の後、国際イベントに参加するようになりました。昨年10月には「国際理解・国際協力のための高校生の主張コンクール全国大会」で外務大臣賞をもらいました。今年5月には国連本部で潘基文事務総長と面会し、東日本大震災への国連の支援に感謝を伝えました。今は大学受験の勉強をしています。(中3・市村優佳) |
さん(19)=台湾 会議は原爆について学ぶ良い機会となり、平和の大切さを実感しました。今、飢餓や貧困、エイズ問題などに苦しんでいる世界の子どもを支援する国際NGOでボランティアをしています。小さなことしかできませんが、それでも大きな変化をもたらせるはずです。平和を考え、行動することが大切です。(中3・石井大智) |
ヤン・ヨンヒョンさん(19)=韓国 経済学者になりたいという思いが強まりました。今春、国連韓国政府代表部でインターンを経験。国連が、中東に平和をもたらそうとしている様子を目の当たりにしました。中東の国々が、自分たちで自国の運命を変えられるよう一歩引いた援助も大切です。平和とは全ての人が尊重され、守られる社会です。(中3・末本雄祐) |
藤井萌子さん(18)=日本 米国・ハーバード大の1年生です。会議で作った宣言をただの「言葉」に終わらせず、「行動」になるよう心掛けています。今、東日本大震災で被災した地域の復興に向け、若者向けのイベントを計画しています。全員が平和を信じ、自分を信じた時、平和にたどり着けると感じています。(高1・秋山順一) |
平和づくり 約束した広島
去年の2月に広島で出会った中学生と高校生たちのことを思い出しながら、みんなから送られてきたアンケートの回答を読んだ。「APECジュニア会議in広島」は実に多彩な顔ぶれだった。韓国の中学生カン・ドンウさんは、今ちょうど高校受験の真っただ中だが、環境問題に取り組む科学者を目指そうとしている。高校生だったオーストラリアのコグラン・サバラトナムさんは、もうメルボルンの大学で政治経済を学んでいて、行政にかかわる仕事がしたいと意気込む。高校生だったマレーシアのムハマッドジハム・モハマッドさんは、これから奨学生として英国に渡って財政金融学を専攻するそうだが、自分の地元に根ざしたボランティア活動にも取り組んでいるという。シンガポールのカレブ・カストロさんは高校を卒業してさっそく軍隊に入り、やがて兵役が終わったら大学で経理学を学ぶ予定だとか。APECジュニア会議のおかげで、他者の話をじっくり聴く耳が持てたと書いている。ベトナムのミン・レーさんは高校卒業後、横浜の大学に入ってビジネスを勉強しながら、日本と母国を結ぶ活動に励んでいるようだ。 みんな元気に成長している様子がいきいきと伝わり、そこでこっちは気づく。ジュニア会議開催から2年も経っていないのに、参加したメンバーはすでに「ジュニア」ではなくなっている。それぞれの道をどんどん進み、もう少しすれば彼らの仕事も、この世の中をつくるプロセスに加わるのだ。 会議が自分に与えた影響について、みんなさまざまに語ってくれているが、ひとつの共通点といえるのは、多様性を認め合う大切さの実感だろう。徹底的に議論することで、ばらばらだった集まりがいつの間にか、ある方向を見出して目標に向かって歩み出す―そもそも議論の場がなければ、それは得られない実感だ。 さらにもうひとつ、多くのメンバーがアンケートで触れたのは、環境問題の認識の変化だ。中には、環境の健全さと平和の実現をしっかりつなげて考えるようになったメンバーもいる。その視点は、会議の1年後に起きた原発事故を見つめるためにも、欠かせないものだ。 もちろん、平和の認識について語っていない者は一人もいない。みんな広島の実践に学び、被爆者の声に耳を澄まし、大きな実例として、模範として、手本としてこの街をとらえている。ということは、広島のぼくらが、あの会議でとても重いものを背負ったわけだ。もし広島の平和づくりが、骨抜きにされたり中身が薄まったり、形骸化してしまったりしたら、いずれ会議のメンバーたちに見透かされ、失望されかねない。こっちが裏切ってはならない約束をしたAPECジュニア会議だった。 |