中3のジュニアライター2人が7月31日〜8月3日、新潟県長岡市を訪れました。来春、修学旅行で広島に来る長岡南中の招きです。長岡空襲の犠牲者を慰霊する行事や灯籠流しに参加したほか、長岡市などが主催した平和フォーラムや同中の生徒との交流会に出席。地元の中学生と平和についての考えを深めました。
8/1 | 非核平和都市宣言市民の集い
8月空襲 1480人犠牲 模擬原爆投下の過去も |
市民の集いの後、七里さん(左)に空襲体験を聞く坂本さん(中)と大林君 |
長岡市は1945年8月1日夜に空襲を受けました。市街地の8割を焼失し、約1480人が亡くなりました。私たちは1日朝、市中心部の「平和の森公園」で開かれた「非核平和都市宣言市民の集い」に参列しました。献花や黙とうに続き、空襲を生き延びた七里アイさん(86)の体験を聴きました。
七里さんは市内を流れる柿川に逃げましたが、当時1歳半だった娘の美智子さんを亡くしました。「娘の命をもらい、こうしてあなたたちに会える。長岡で起きたことを忘れないで」と話していました。
この日の夜、柿川に籠灯を流し、空襲の犠牲者を慰霊しました。私は灯籠に「核はもういらない」と書きました。福島第1原発の事故で、核の平和利用に疑問を持つようになったからです。
また今回の訪問で、長岡と広島、長崎には意外なつながりがあるのを初めて知りました。45年7月20日午前8時13分、米軍が長岡市に模擬原爆を投下したのです。当時、新潟市に原爆投下を計画していたため、近くの長岡市に落としたのです。プルトニウムの代わりに火薬が入った、長崎原爆とほぼ同じ形状の爆弾で、4人の死者と5人の負傷者が出ました。この訓練の約半月後に広島、長崎に相次いで原爆が落とされたのです。市役所の近くには「模擬原子爆弾投下地点跡地の碑」もあります。(中3・大林将也)
8/1,2 | 平和フォーラム 長岡南中で話し合い
「できること」探る |
「ながおか平和フォーラム」が1日、長岡市内のホールで開かれ、市内の中学生と私たち2人の計7人が「心に平和のとりでを築くために、今、私たちにできることは」をテーマに意見交換しました=写真。
長岡南中2年の岸本啓子さん(14)が「世界の平和度は100点中何点?」と聞くと、ジュニアライターの大林将也君は「世界の99%が平和でも、1%で戦争や紛争が起きていたら無視できない」と0点と回答。私は30点と答えました。世界では難民やテロの問題があり、日本でも福島原発の事故で古里を追われた人がいるからです。
次に、新潟大付属長岡中2年の森田薫君(14)が「長岡で平和の意識を高めるにはどうすればいいのか」と質問。私は「知り、行動に移し、協力することが大切」と答えました。具体的には「戦争中に広島や長岡で起きたことを学び、得た知識を周りに伝え、協力して意識を高め合いたい」と説明しました。
平和記念式典に先立ち、原爆の子の像に折り鶴をささげる長岡市の中学生 |
2日は長岡南中で、同中の2年生4人と平和について話し合いました。議論が白熱したのは「軍隊は必要か」についてです。6人中、私以外の5人は「他国の攻撃から日本を守るために必要」などと主張。私が「世界中が軍隊を持たないようにすればいい。武力ではなく、話し合いで解決すべきだ」と反論すると、共感する人もいました。(中3・坂本真子)
8/6 | 中学生23人、平和記念式典参列
折り鶴4500羽ささぐ |
長岡市内の中学生23人が6日、広島市の平和記念式典に参列しました。戦争の悲惨さや平和の大切さを考えてもらおうと、長岡市が派遣した中学生です。
式典に先立ち、原爆の子の像に、長岡市内の小学生が作った折り鶴約4500羽をささげました。式典では広島市の松井一実市長の平和宣言などを熱心に聞いていました。長岡南中2年の岡村美紗(13)さんは「人間は戦争も核兵器もなくせると感じた。原爆は怖く、絶対に繰り返してはいけない」と力を込めました。(中3・大林将也、写真も)
平和記念公園内のラジオ席で話す熊谷さん |
8月6日の平和記念式典を中継するFMちゅーピーの番組に、「ひろしま国」を代表して出演しました。 放送は約1時間。司会者から、こども代表による「平和への誓い」について意見を聞かれました。私は、支え合い、平和の大切さを伝え合うことができる「人間の力」を信じているという言葉が印象に残ったので、「子どもたちの強い気持ちに負けないよう、(私たちも)頑張りたい」と答えました。 番組の最後に「式典で人々の平和への思いや願いを感じ、考えさせられた。ヒロシマができることはもっとある」と語り掛けました。(高2・熊谷香奈) |
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