english


田舎の底力(下)
氷点下の山あい 人温かく

三次市作木町
ジュニアライター宿泊体験

前回の86号は、地域の自然を生かして自給自足する人たちの姿を紹介しました。今回は、2月11、12日に泊まりがけで体験した「田舎暮らし」を報告します。


訪れたのは広島県北部の三次市作木町。中国山地を流れる江の川沿いにあります。人口約1700人のうち、65歳以上の人たちが46%を数えています。

宿泊した、倉本邦夫さん(69)と坂根憲昭さん(60)の農家では、牛の世話を手伝ったり、おはぎや餅を作ったり、と初めてのことばかり。4世代が一緒に暮らす倉本さん宅の食卓はにぎやかで、話が尽きませんでした。

1泊2日の体験でしたが、手間ひまかけて自然と寄り添う人たちの温かさに触れました。

田舎と都会。それぞれの良さを知ることで、尊重しあい、共存する道が生まれていくのではないでしょうか。


 

おはぎ作り 米は自家製

Photo
ほかほかがおいしい手作りのおはぎ(撮影・高2高田翔太郎)

台所に続くドアを開けると、生あたたかい甘い匂いが広がりました。「まずは手を洗うんよ」と坂根ゆりさん(60)。おはぎ作りの始まりです。

自家製のうるち米と、もち米を混ぜて炊いたほかほかのご飯をすりこぎでつぶします。20分近く。かなりの力仕事です。「半分つぶした状態を『半殺し』っていうんよ」とゆりさん。だいぶとろとろになりました。

続いて、ぬらした手で米をつまみ取ります。丸く形を整えたら、あんこやきなこをまぶします。

おはぎは、看護師をしていたゆりさんに代わり、義母の津由香さん(84)が3人の孫娘とよく一緒に作ってきたそうです。おはぎが晩ご飯になったこともありました。

出来上がったのは大小さまざま。「おいしそうにできたねえ」とゆりさんがうなずきます。きなこの甘さだけでなく、お米の甘さも生かされていました。(中2・木村友美)

4世代8人 笑顔の食卓

Photo
4世代8人で囲む倉本さん宅の食卓はにぎやかで笑顔が絶えない(撮影・中2来山祥子)

1日に炊くお米は1升(1・8リットル)。倉本邦夫さんは妻、次女夫妻、孫3人、母親との4世代8人で暮らしています。全員が顔をそろえた食卓で晩ご飯を頂きました。

倉本さんの自慢は自家製のお米。口に入れると甘さが広がりました。倉本さんは「太陽をしっかり浴びて土質もいい。飼っている牛の堆肥も使っている」と誇らしげです。

「田植えや稲刈りは家族総出よ」と倉本さん。趣味の写真には、農作業を手伝う孫の小学5年紗智さん(11)、3年巧君(9)、1年到輝君(7)が写っていました。家族みんなで作ったお米をみんなで食べるからこそ、よりおいしくなるのだと感じました。

きょうだい3人に「大人になっても作木に住みたい?」と聞くと、全員が「おりたい!」と声をそろえました。倉本さんの母マツノさん(92)は、ひ孫の到輝君の頭をなでながら「家族が一番の宝物。楽しい時間を過ごせるおかげで長生きさせてもらっています」と幸せそうに笑っていました。(高3・楠生紫織)

牛の餌やり 心を通わせ

Photo
子牛へのミルクやり。ごくごくと飲む勢いが哺乳瓶から伝わってくる

朝7時半。気温0度。牛の餌やりに行きました。昨夜から降り続いた雪で、家から牛小屋への通路は真っ白です。

坂根憲昭さんは42年間、寒い時も暑い時も朝晩牛の世話をしています。母牛を育てて繁殖させ、子牛が8カ月になると市場に出します。その牛は別の農家が育てて「広島牛」になるのです。

牛は19頭います。僕たちが小屋に入ると、通路に面した餌箱に近づいて来ました。わらを手で投げ入れると、みんな一気に食べ始めました。空になると隣の餌箱に頭を突っ込む牛もいます。

生後2カ月の牛には、哺乳瓶でミルクをあげました。哺乳瓶に吸い付くと、あっという間に2リットルを飲み干し、瓶を吸い続けています。坂根さんが「もうないよ」と頭を軽くたたいて教えていました。

「自分が家に帰った時に牛がモーと鳴いて迎えてくれるのがうれしい」と坂根さん。大変な仕事ですが、牛への愛情の深さを感じました。(高2・高田翔太郎)

雪に囲まれ 石窯でピザ

Photo
石窯に入れて1分半。こんがり焼けたピザの出来上がりだ(撮影・高3楠生紫織)

山に囲まれた谷あい。雪が降りしきり気温も氷点下に達する中、小屋の煙突から煙が立ち上っています。煙を出している石窯は、坂根憲昭さんが3年前、3カ月かけて作りました。

小屋も坂根さんの手作り。10人も入ればいっぱいです。炭で暖をとりながら、ピザを作りました。手ごねした生地にタマネギやシイタケ、チーズをトッピングします。

石窯に入れて1分半ほど。生地に焦げ目が付いたら出来上がりです。次々と焼けるピザ。同じ材料なのに、食べると味が違います。「作る人の思いがそれぞれ込められてるからかね」と妻のゆりさん(60)。気が付けば10人で30枚以上焼いていました。

おなかがいっぱいになり、小屋の外へ。田んぼに入って雪合戦にそり遊び。大きな雪だるまには、炭の目と鼻を付けました。「誰にも気兼ねせず、自然の中でエンジョイできる」と坂根さん。ゆったりとしたスローライフを楽しんでいます。(中2・寺西紗綾)

作木の気候や風土を生かした農業を見学

Photo
クリスマスローズについて説明する原田さん(右)

紫に白、ピンク、黄緑―。直径5センチほどのクリスマスローズがうつむき気味に咲いています。原田正徳さん(73)が1999年春から栽培しています。

クリスマスローズは寒さを好む花です。「冬が寒い作木がちょうどいい」と原田さん。自宅の周りの畑やビニールハウスに4000〜5000株も植えていて、広島市の市場や、隣接する三次市布野町の道の駅などに卸しています。

Photo
斉木さんが栽培している原木シイタケ

ビニールハウスに入ると長さ約1メートルのナラの木がずらりと並んでいます。木にはシイタケが生えています。木に穴を開け、シイタケの菌を埋め込んで栽培しているのです。

栽培しているのは、斉木亨さん(59)。ナラの木は隣の三次市布野町の山から切り出した2万本を使っています。かつて炭焼きに使っていたナラ。斉木さんは「地元の木を使って、雇用を増やしたい」と話します。

日本で消費されるシイタケの9割が、栄養剤を入れたおがくずに菌を植えて育てる菌床栽培です。一方、斉木さんの原木シイタケは香りが良く長持ちです。

「生きる基本 ここにある」 地域の世話役・坂根さん

Photo
田舎暮らしで大事に思っていることを話す坂根さん(撮影・中2寺西沙綾)

田舎の底力とは「人が生きていくための基本が備わっているところ」と、地域の世話役も務める坂根憲昭さんは語ります。ゆったりとしたスローライフは、年を取っても畑仕事や地域の行事などやるべきことがあります。名前が地域で知られ、自分という存在を強く感じられます。「1人で100人分もの力を発揮しています」との説明を受けました。

作木には、絶滅危惧種の鳥ブッポウソウが日本で一番多くいます。虫を餌にしているブッポウソウ。鳥も人も住みやすい、環境の良い場所なのです。

スローライフは、のんびりしている分、テンポが遅くなる点があります。さらに、農業に対する社会の理解が薄く、収入が少ないのも難点です。働く場所がないため都会に出て行く若者も多くいます。

坂根さんは、地域の子どもたちに「都会に出ても古里は作木だよ」と、作木の良いところを伝える活動を続けています。子どもたちは、作木中では神楽、作木小ではブッポウソウについて学んでいます。

高齢化は、都市部の団地でも急速に進んでいます。団地に暮らす多くの人は隣近所をよく知らず、何かを一緒にすることが少ないです。一方、作木では畑仕事や近所付き合いを楽しく過ごしています。「作木がお年寄りの楽園になれば」と坂根さんは願っているのです。「仕事をするのは都会、人間らしい生活は田舎」「速いテンポが好きな人は都会、こせこせせしない付き合いを求める人は田舎」。それぞれが選べばいい、というスタンスなのです。

坂根さんが大事だと思っているのは、「都会が良くて田舎がだめだ」とみるのではなく、田舎と都会が手をつなげば共存できて、みんなが幸せになれるということです。(中2・来山祥子)


作木中生徒会 古里への思い

作木中(曽根淳治校長、35人)は町内にただ一つある中学校。生徒会執行部の2年生6人に作木へ寄せる思いを聞きました。

執行部のメンバー:江藤要、菅優作、畠奈津実、辺見恵理、元国拓斗、森島千陽(五十音順、敬称略)

―少人数の学校で良い点、悪い点は何ですか。

 一人一人と深く関わり合える。

元国 ほんわかとしている。転校してきてもすぐにみんなと仲良くなれるし、名前を覚えられる。

江藤 保育所から10年以上一緒にいて、絆が強い。

辺見 部活動が陸上、バレーボール、卓球しかない。少人数のレベルしか知らずに大きくなるので「井の中の蛙」になってしまうのかなあ、と思うこともある。

作木町と学校の魅力について話す左から辺見さん、畠さん、森島さん、元国君、江藤君、菅君

―作木の好きなところ、嫌いなところはありますか。

江藤 お薦めは常清滝。日本の滝100選に選ばれた。他にも自然が多い。

辺見 野菜や米を作るのを手伝えるのがいい。

森島 地域の行事が好き。おじいちゃん、おばあちゃん、保育所や小学校の低学年とか、私と同学年はいないけど、いろんな人とふれあえる。

元国 冬になると雪かきが日課になるのが大変。雪も度をこすと凶器になる。じいちゃんと僕がやっている。

 コンビニがあれば、と思う。

―ずっと作木に暮らしたいですか。

森島 ここにいたい半面、外に出てみたい思いもある。人が温かいっていうか優しくていい町だし、この作木がすごい好きなんだけれど、大きい町に行ってみて、もっといろんな人と出会ったり話したりしたい。

江藤 俺は他の所に行って、この作木で学べないことを学んで、疲れたら帰ってきたい。

 僕も都会に出てみたい。いろんな人がいるんで楽しいかな、と。でも、学校で披露した神楽で、舞い終わった時に、かっこよかったよ、上手だったね、とかみんなに言われて、地元の神楽団に入りたくもなっている。

辺見 私は残りたい。ちっちゃいころ近くにいたおじさん、おばさんがすごくあったかい人だった。自分が大きくなって、ちっちゃい子に「あったかい」と思ってもらえる人になりたい。

―作木の良さを残すためには、何が必要と考えますか。

森島 自分たちが変わらなければそれでいい。都会に出ても色に染まらず、作木の温かさや優しさを忘れずに、都会の人にアピールしたい。

 都会の友だちを連れてきて、いいなと思ってもらう。いつか住んでくれるようになったら、本当にいいな。

元国 都会のようにならなくていい。作木にどんどん人が来るような場所をPRしたい。作木の人と自然に触れて楽しんでほしい。