オキナワをテーマにした特集の第2弾です。今回は、沖縄と交流する広島の若者たちの活動を紹介します。その上で、前回取り上げた沖縄における戦争体験の継承活動を参考にしながら、広島でもできそうなこと、ぜひやりたいことなどを話し合いました。
住民を巻き込んだ激しい地上戦が行われ、米軍基地があるために今なお苦悩が続く沖縄。人類で初めて原爆が投下された広島では、生活が根こそぎ破壊され、放射線被害などの苦しみは現在も続いています。
オキナワとヒロシマ。その共通点と違いを学ぶ中で、広島でできることを考えました。大人へ要望や注文もしています
交 流 | サミットや意見交換 |
盈進高・広島女学院高 |
盈進高(福山市)と沖縄尚学高(那覇市)の交流は2006年から始まりました。これまで沖縄で2回、広島で1回、高校生を中心にした平和サミットを開いています。
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上=平和サミットでのチャリティ公演。ステージでコミカルに踊る参加者たち 下=平和サミットの分科会で普天間基地問題を話し合う参加者たち(いずれも那覇市、今年3月) |
サミットには愛媛県今治市の今治明徳高矢田分校や広島女学院高(広島市中区)も加わっています。沖縄と広島、愛媛の高校が平和をテーマに交流するのは、地上戦、原爆、空襲とそれぞれ戦争体験が違う中で、高校生が戦争についてどのような意見を持っているのか、交換しようと思ったからだそうです。
今年3月に沖縄で開いたサミットに参加した盈進高と沖縄尚学高の生徒に聞いてみました。
サミットではフィールドワークでガマ(鍾乳洞)などを巡り、白梅学徒隊や鉄血勤皇隊の元隊員の話を聞きました。盈進高3年の岡崎理沙さん(18)は「米軍から逃れるために隠れ住んだガマは、岩がゴツゴツしてとても人が住める環境ではない」と感じたそうです。同じく3年の新安紀さん(17)は「自分と同じぐらいの年齢で戦場にかり出され、したいこともできずに死んでいった。いろんな人にこのことを伝えていかなきゃいけない」と話します。
平和への意識が変わった人もいました。毎年、盈進高が取り組んでいる核兵器廃絶署名について藤原美里さん(17)は「同世代の連帯を実感した。核兵器廃絶は可能かもしれない、と思いながら署名に取り組めるようになった」と話します。
沖縄尚学高の3年仲本理乃さん(17)は「私たちには戦争体験がないから、事実をそのまま伝えるのが難しい。そのためにまず体験者から聞き取りをした」と言います。フィールドワークでは、糸満市の「白梅の塔」をガイドしました。「沖縄戦しか勉強していなかった。広島の原爆や今治の空襲の話を聞き、他の地域の体験についても勉強しなくては、と思った」と感想を語っていました。
沖縄尚学高の地域政策研究部副部長をしている比嘉駿介さん(17)は「参加者は事前学習をしっかりしているので平和に対する意識が高く、自分の意見を持って発言していた。他の地域の高校生と話すといろんな考え方を知ることができ、自分は何ををすべきかを考えさせられる。この思いを後輩にも伝えていきたい」と話します。(中3・石本真里奈、中2・市村優佳)
体 験 | 命の重さ 歩いて実感 |
広島経大ゼミ 07年から |
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上=旧日本軍司令部壕(ごう)跡でガイドの説明を聞く広島経済大生たち 下=学徒隊が勤務した野戦病院壕跡で犠牲者の冥福を祈る広島経済大生(いずれも那覇市、今年2月) |
命をつなぐとは? その答えを探して沖縄を歩くー。広島経済大の岡本貞雄教授(宗教学)のゼミでは、2007年から沖縄戦中に当時の人たちが歩いた道のりを歩いて追体験する「オキナワを歩く」を実施しています。
沖縄戦で最初の激戦地となった嘉数(かかず)高台をスタートし、沖縄本島最南端の喜屋武(きやん)岬まで3日間かけて進みます。食事は栄養補助食品と水、スポーツドリンクだけです。途中で、看護活動をした元女学生の体験談を聞きます。
たくさんの人が犠牲になった沖縄戦。大規模な戦闘が終わっても、県民は安全ではなく、沖縄各地を逃げ回りました。岡本教授は「オキナワを歩く」を始めた理由を「不条理に命を絶たれた先人に思いをはせ、命や平和の大切さを感じるため」と言います。歩く方法を取ったのは「同じように歩くことで、当時の人がどんなことを考えていたかを想像しやすくするため」だそうです。
岡本ゼミは08年に「ヒロシマを歩く」という活動も始めました。岡本教授は「広島や沖縄の学生が主体となり、全国の学生が参加する取り組みにしてほしい」と願っています。
4年の福岡慎太郎さん(21)は、戦争の悲惨さは共通しているけれど、違う点もあると感じたそうです。一瞬にして大惨事が起きた広島と違い、沖縄では約3カ月間、「鉄の暴風」と言われる激しい戦闘が続きました。両方を歩いてみてその違いを感じたそうです。
参加者は、映像では分からない雰囲気などを肌で感じました。旅のDVDも作りました。4年の山岡真太朗さん(21)は「映像で伝えることは難しいけど、広く知ってもらうことも大事」と話していました。(高3・村重茜、中2・佐々木玲奈)
資料館展示 世代で分ける 私は原爆資料館が嫌いです。小3の時、宿題で初めて行きました。そこで見たものは、ただ「怖い」だけでした。「戦争はいけない」と少しも思いませんでした。小さかった私にはトラウマにしかならなかったのです。被爆体験を聞くことも資料館に行くことも、とても意味のあることです。だからこそ、聞く人、見る人がそれをどう受けとめるか、考えてほしい。私は、戦争に関する資料には年齢制限をつけるよう提案します。展示も世代や学年で内容を別にします。そうすれば、誰でも気軽に訪れることができます。(中2・佐々木玲奈) 中高生番組もっと作ろう 広島でも中高校生が原爆をテーマにした放送番組をもっとたくさん作ったらどうでしょう。被爆者の証言を構成してもいいし、ドラマでもいい。制作するためにはしっかり調べる必要があるので、すごく勉強になります。番組を通して多くの人に戦争の実態を知らせることができます。長崎にも呼びかけ、沖縄、広島、長崎で番組交換すれば、お互いの戦争体験をより深く理解し合えることになります。(中3・石本真里奈) 他地域の戦災 知る機会を 自分が住んでいない地域の戦争被害についても知ることができる機会をつくりましょう。資料館など多くの人が集まる施設は見学コースに、同じような被害を受けた他の地域の資料も展示します。そうすれば、加害と被害の両方の視点から、より深く戦争の意味が理解できるのではないでしょうか。そのことをまず広島と長崎、沖縄が連携して取り組んだらいいと思います。(中2・市村優佳) 被爆者の話 しっかり聞く 戦争を実際に体験した人と対話しましょう。沖縄のひめゆり学徒隊員と高校生、大学生の対話のように、戦時中のことだけやりとりするのではなく、戦前のこと、戦後の生活の様子などもしっかり聞きます。自分が疑問に思ったことをどんどん尋ねれば、戦争を身近にリアルに感じることができると思います。このようにして、広島でも被爆者と若者が対話すれば、原爆について頭で学ぶだけでなく、体で感じることができるのではないでしょうか。(高3・村重茜) 長崎・沖縄と理解し合う 沖縄で若者が取り組んでいるような戦争体験の継承活動が広島でも必要です。被爆者はどんどん亡くなっています。僕たち若者が祖父母や近所のお年寄りから被爆証言を聞く。聞いて知るだけに終わらせず、沖縄や長崎の若者と集まって交流する。そこで、戦争に関して、お互いの共通点や違いを理解し合う。そうすれば、戦争を防ぐために僕たちは何をすればいいのか、が見えてくるかも知れない。自分ができることは何か、というところまで話し合うことが大切だと思います。(高3・室優志) 米国側の意見も聞きたい 月に1回くらい、広島から参加者を募り、他の都道府県での戦争体験を学ぶツアーをします。行った先々の地域の人たちにとって戦争とはどんなものだったのか、身近に学びます。海外版があったらなおいいでしょう。戦争への理解がより深まると思います。その一つとして、米国に行って原爆を落とした側の話を聞きます。原爆のことをより深く知るためには、落とした理由をしっかり聞く必要があります。(中2・大林将也) |
沖縄戦に看護要員として動員された沖縄県立第二高等女学校の4年生56人で編成した。
沖縄戦に動員された14〜19歳の学徒隊。沖縄師範学校男子部と旧制中学校の生徒を「志願」の形で動員した。