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震災と子どもたち
心の復興 みんなで後押し




世界各地で大地震が続いています。死者・行方不明者が8万7000人を超えた2008年の中国・四川大地震、22万人以上が亡くなったり行方不明になったりした04年のスマトラ沖地震―。今年に入ってからはハイチやチリで発生。1月12日のハイチ大地震では、20万人以上の死亡が伝えられています。

家の倒壊や火災、津波で多くの子どもが命を失ったり、けがをしたりしました。親やきょうだいを亡くしたり、心の傷を負ったりした子もいます。最貧国であるハイチでは、子どもは強制労働や売春を目的とした人身売買のターゲットにもなっています。

心身ともに傷ついた子どもたちをどうやって救うのか。ハイチの現状とともに、発生から15年を迎えた阪神大震災の今を調べ、自分たちにできることを考えました。

イラストは中3・大友葵が担当しました。

ハイチ ハイチ大地震 1月12日早朝(日本時間13日夕)、首都のポルトープランスから南西15キロを震源に起きた。マグニチュード(M)は7.0。れんがの壁など耐震性の低い構造の建物が多かったこともあり、20万人以上の死亡が確認されている。崩れた建物の下敷きになっている遺体もまだあり、被災者総数は、人口の約30%にあたる約300万人に上る、という。

■医療ピンチ 治安悪化 ―まずは励ましの手紙を

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被災した少年を診察する医師たち(AMDA提供)

多くの建物が倒壊したハイチの首都ポルトープランス。「がれきの下には多くの死体があり、街に死臭が漂っていました」。地震直後から約3週間、現地に滞在した国際医療ボランティア団体AMDA(岡山市北区)の調整員ニッティアン・ビーラバーグさん(41)はショックを隠せない口調でした。衛生状態が悪く子どもたちには下痢がはやっていたそうです。

ハイチでは普段から国民の70%以上が1日2ドル以下で生活しています。その多くは非政府組織(NGO)や、米国、カナダにいる家族、友人の援助を受け暮らしていました。地震で人々は家や財産を失い、食べ物の取り合いが起きました。疲労と空腹で暴力的になり治安はますます悪化の一途をたどっています。

病院の多くが倒壊し、残った病院には患者が殺到しました。衛生状態が悪く、薬や器具も不十分で、感染症などの恐れから約4000人が手足を切断したそうです。AMDAは彼らに義肢を贈るプロジェクトを検討中です。

貧しさから両親に暴力を受けたり放置されたりする子どもが少なくありません。多くの子が親を失いました。街には孤児があふれています。治安が悪いので外で遊ぶのにも危険が伴います。

これから雨期に入ると外で遊べません。人形や筆記用具など子どもたちが中で遊べるようなものが必要になるでしょう。「励ましのメッセージや絵を送るだけでも彼らは勇気づけられる」とビーラバーグさんは提案しています。(高2・見越正礼)


■住まい不足 助け合い ―忘れないことが大切

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地震で父親を亡くし、ビニールシート1枚の下で暮らす母親と子ども5人(ピースウィンズ・ジャパン提供)

2月6日から約3週間、ハイチの首都ポルトープランスに滞在していたNPO法人ピースウィンズ・ジャパン尾道事務所(尾道市)の向井真珠さん(29)は「ハイチが好きになった」と笑顔で語ってくれました。

行くまでは、暴動や強奪など悪いイメージしかなく、「とても遠い国だった」と言います。

現地スタッフには、被災民キャンプで暮らす人や、3日間もご飯を食べられずにいた人たちもいました。牧師団体は、子どもたちに1日1回の食事を提供。「アジア圏で見られる助け合いの文化がハイチにもあった」と驚きました。

「ハイチの子どもたちに必要なものは、親と一緒に雨風しのいで住める場と勉強できる場」と向井さん。壁のないビニールシートの下に暮らし、雨が降ると立ったまま寝ないといけない家族もいました。ピースウィンズ・ジャパンでは、家族向けテントの配給や壊れた校舎のがれきの撤去、授業ができるテントの用意をしようとしています。

日本の学生にできることは何でしょうか。今は治安も悪く、行くのは危ないそうです。しかし、住宅建設が始まったらボランティアが必要かもしれません。「それまでハイチのことを忘れずにいてほしい」と語気を強めました。(高2・古川聖良)


■心の傷 楽しむ中で癒やす ―「日本で起きたら」考える

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心の傷を癒やすために行われている遊び(プラン・ジャパン提供)

国際非政府組織(NGO)日本フォスター・プラン協会(プラン・ジャパン)広報担当の久保田恭代さん(41)によると、ハイチの子どもたちにとって最も深刻な地震の影響は心の傷です。早い段階で解決しなければ、治療が長引きます。そのまま成長すると、攻撃的な大人になってしまいます。引きこもり状態になることもあります。

心の傷を治すには主に二つの方法があります。一つは規則正しい生活をすること。もう一つは楽しい活動をすること。現地にあるプラン・ハイチは政府と協力して学校の再建を進めています。学校があれば子ども同士で話す機会が増え、つらいのは自分だけではないという安心感が生まれます。

子どもたちが安心して遊べる「子ども用スペース」づくりにも取り組んでいます。現在、南部のジャクメルに設置。今後、増やす予定です。

プランでは地震が、子どもにとって良い国とは何かを考え、大人に伝えるきっかけになればととらえています。そのため、震災前からプランがハイチ国内でつくっていた約90の「子どもクラブ」を生かす方針です。

子どもたちに災害対策を相談したり、地域の危険な場所を地図に描いたりしてもらいます。それをプランのスタッフや地域の大人に伝えて対応してもらうのです。

ハイチ地震について久保田さんは「日本で起こったらどうなるか考えてほしい」と言います。復興には何年もかかります。ハイチについて関心を持ち周囲の人に話すことも大切だそうです。(中1・大林将也)


神 戸 阪神大震災 1995年1月17日早朝、兵庫県淡路島北部を震源に起きた。マグニチュード(M)は7.3。6434人が死亡、建物約10万5000棟が全壊した。最大で約33万人が小学校の体育館などでの避難所生活を強いられた。新幹線や高速道路の高架橋も倒壊。山陽新幹線は新大阪−姫路間で3カ月近く運休した。

■心の痛み 吐き出して変化 ―個性的な部屋 遺児を包む

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殴ったりけったりできるようにしてある「火山の部屋」(撮影・中3西田千紗)

阪神大震災で親を亡くした子の「駆け込み寺」があります。神戸レインボーハウス(神戸市)です。好きな時に来て感情の吐き出しができるよう震災4年後の1999年1月に完成しました。

震災で自分の気持ちを言えなくなった子どもを救おうと、あしなが育英会がつくりました。被災した家庭を訪ね歩いて見つけた遺児は573人。寄せられた募金や寄付14億円が使われました。

ハウスに来る子どもはみな遺児です。学校で味わう孤立感はここにはありません。体験を話すことで前向きになれた子も大勢いるそうです。

主な活動として「心のケアプログラム」と「つどい」があります。「心のケア」では、学年や男女に分かれてファシリテーターと呼ばれる大人のボランティアと被災時の様子を話し合ったり絵を描いたりします。ファシリテーターは子どもが話しやすい雰囲気をつくる潤滑油のような働きをします。

「つどい」にはクリスマス会やキャンプがあります。保護者も参加し、心を開放させます。

ハウスには気持ちの吐き出しができるよう個性的な部屋がたくさんあります。「火山の部屋」はストレスを発散させるため殴ったりけったりできるようサンドバッグが置かれています。壁や床も軟らかい素材です。「アートの部屋」は気持ちを言葉にできない子どもが絵を描いたり工作をしたりして感情を表現します。震災直後は黒を使う子どもが多かったのですが、ケアを続けるうちに明るい色の絵を描くようになったそうです。

誰にも邪魔されず一人きりになって思いっきり泣ける「おもいの部屋」。全員が見渡せるよう円形のソファと大量のぬいぐるみが置かれた「おしゃべりの部屋」は明るい雰囲気です。

これまでに約200人の子どもたちを見守ってきたディレクターの富岡誠さん(54)は「想像できないぐらいのダメージを子どもたちは受けている。毎日のように来ていた子の来る回数が減ると成長を感じる。それがやりがいですね」と笑顔で教えてくれました。(中2・小坂しおり)


■命守る仕事目指す ―母兄死亡 女子学生誓う

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震災当時と今について語る女子学生(右)(撮影・中2小坂しおり)

阪神大震災で母と2歳上の兄を亡くした大学4年の女子学生(22)は、助産師になるために勉強しています。「一つ間違えば私は死んでいた。今生きているのはすごいこと。だから、生きる命を大切に扱う仕事をしたい」。真っすぐなまなざしが印象的でした。


小学1年で被災した体験を、小学2年の時、「今は亡き愛する人を偲(しの)び話し合う会」(あしなが育英会主催)で話しました。「話しているうちに涙が出た。でも、とてもすっきりした」と振り返ります。被災体験を普通に話せるようになったのは、小さな時に話して気持ちを整理することができたから、と言います。


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レインボーハウスの一人きりになれる「おもいの部屋」。天井の窓からやわらかい光が差し込む(撮影・中3西田千紗)

レインボーハウスには設立時から約3年間通いました。「同じような境遇の子が集まっているので、気を使わなくて楽だった」と語ります。


現在、同ハウスの学生ボランティアとして交通事故や病気で親を亡くした子どもたちの体験を聞いています。「普段恥ずかしがっている子や騒いでいる子でも、ちゃんと話せる強さを持っている」。話すきっかけづくりが大切だそうです。(中3・西田千紗)